概要
1985年1月10日から同年3月28日までフジテレビ系列局(ただし一部系列局除く)にて放送された。
東映不思議コメディーシリーズ第3弾『ペットントン』のヒットを受け、同シリーズの路線をゴールデンでもやろうということで木曜のゴールデンタイム(19:30 - 20:00)で放送された。原作は石ノ森章太郎、脚本は浦沢義雄。文献によっては本作も東映不思議コメディーシリーズに含む場合もある。
アニメ『ふたり鷹』の放送時間帯移動(あるいは中途終了)を受けてスタートしたものの、時間帯の都合上内容に制約があったのか視聴率は振るわず、全11回で終了するハメになった。
なお、スポンサーは食品メーカーで、玩具会社ではない。また、本作終了を受けて放送を開始したのが、あの『スケバン刑事』であった。さらに蛇足ながら、『スケバン刑事』が大ヒットを記録したが故に「春からの新番組までの穴埋めピンチヒッター、またはワンポイントリリーフ番組だったのでは」という都市伝説を唱える人もいるとかいないとか。
また、次回予告で『どきんちょ!ネムリン』と共演したことがある。逆にてれもんがネムリンの予告に出た事もあった。
本作は基本的にフィルム撮影だが、特殊効果を用いたシーンには一部VTR撮影を行なっている。当時の純フィルム作品と異なり、質感の異なる映像が交互に現れる点が特徴だった。しかし、そうした映像技術は特撮では定着せず、東映特撮ではファイン・ネガ・ビデオシステムがようやく導入された1990年代中期でも、VTR合成やオプチカル処理はキネコやフィルム焼き付けが主流となっていた。
VTR撮影の東映特撮は1996年の『超光戦士シャンゼリオン』(一部の特撮シーンはフィルム撮影)、1999年の『燃えろ!!ロボコン』(後期のOPEDのみ)を経て2000年の『仮面ライダークウガ』でやっと定着した。しかしアクションシーンとの相性が悪く、2006年の『仮面ライダーカブト』からフィルムに近いHD24Pビデオカメラに変更された。スーパー戦隊での導入はそれから3年後の『侍戦隊シンケンジャー』からとなる。
登場人物
てれもんと林一家
電波のカスから生まれた全身オレンジ色のTVオバケ。本名は「てれもんじゃ」だが作中では「てれもん」と呼ばれることが多い。テレビの中と現実世界を行き来し、テレビに映った物体や人物を実体化させて外に出すことができる。語尾に「じ〜」を付けて話す。
- 林 トンボ(演:伊藤環)
本編の主人公。家のテレビが8チャンネル(フジテレビ)だけしか映らないことでキン肉マンやザ・トップテン(日本テレビ)、キャプテン翼(テレビ東京。ちなみに関東などでは裏番組)、といった当時の人気番組が観れないことが原因でネクラな性格。
- 林 アゲハ(演:木ノ葉のこ)
トンボの母。
- 林 カブト(演:佐渡稔)
トンボの父。区役所勤務。
町の人たち
- サヤカ(演:星めぐみ)
トンボやてれもんの憧れの少女。
- ラドン(演:林義人)
トンボの同級生。アゲハに恋し、結婚しようと目論んでいる。
- 屋台のラーメン屋(演:市川勇)
カブトの友人。
てれもんの敵
- 小俣/ザ・グレートデンキ(演:斉藤晴彦)
林一家の近所の電器店、小俣電器の店主。ザ・グレートデンキは小俣が電気大明神に祈って変身した姿。林家のテレビを最新式に買い換えさせようと目論む。
- 総天然色カラーボーイ
全てを総天然色に変えてしまうテレビの怪人。おネエ言葉で話す。
主なゲスト出演者
クラッシュギャルズ (第1話)
羽賀健二 (第1話)
ぶーちゃん小林 (第1話) 当時の「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」のコーナーにディレクターで出演
ブッチー武者 (第1話)「ひょうきん懺悔室」でお馴染みのザンゲの神様役
とんねるず (第1話)
本間淳子 (第2話)当時フジテレビアナウンサー
佐藤B作 (第4話)
高見山大五郎 (第5話)
結城貢 (第6話)
山崎清 (第6話)音声多重総天然色カラーボーイ役
ビートきよし (第7話)テレビの中のドラマの中学教師役
主題歌
OP:「Nice Accident」、ED:「チャンネルX」
各話リスト
話数 | サブタイトル |
---|---|
1 | ザンゲの神様 クラッシュも真っ青!! |
2 | 正義の味方ザ・グレートデンキ誕生!! |
3 | 必殺!(秘)ストリップ銃あっちっち |
4 | 紙テープはスーパースターの夢を見る!! |
5 | 高見山直伝! 強い女の子に勝つ方法 |
6 | 恐怖の音声多重総天然色カラーボーイ |
7 | 不良少女XYZ 積木くずしパニック!! |
8 | トンボが初めて百点満点をとった日!! |
9 | 逃げろや逃げろ!! ヒーローはつらい |
10 | 私は恋するフランケンシュタイン |
11 | 突然サヨナラ! いとしのテレビ |
余談
第1話冒頭で林家のTVは東京五輪(1964年)の年からある(=放送当時の計算で21年使ってる)とのトンボによるナレーションが入るが、このTVを買ったとされる1964年当時カラーTVの普及率は1%未満で庶民には高嶺の花であった。そのため当時の林家は結構な金持ちだった可能性がある。