概要
1959年5月8日生まれ。現在の本名は渡辺郁恵。身長155cm。
来歴など
神奈川県出身。川崎市にて出生後、3歳で厚木市に引っ越し、厚木市立厚木第二小学校、厚木市立厚木中学校、神奈川県立厚木東高校を経て堀越高等学校卒業。ホリプロ所属。夫は、俳優の渡辺徹(2022年11月に死別)。2男の母で長男は俳優・タレントの渡辺裕太、次男の渡辺拓弥も2024年10月に俳優デビュー。
厚木東高校時代は、人形浄瑠璃部という珍しい部に所属していた。高校2年の時、ホリプロが主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝。芸能界入りを機に上京し芸能活動コースがあった堀越高等学校へ転校。
歌手デビューは翌年の1977年(昭和52年)1月1日だが、CMや映画への出演は1976年(昭和51年)からである。決勝大会等でのサブタイトルに「1億円のスター」とあったことからデビュー時のキャッチフレーズが「1億円のシンデレラ」となった。デビューに当たっては、芸名を考えることになったが結局、「読みにくい名前だが、一度覚えたら忘れないだろう」という意見でまとまり、本名のままで行くことに。
同期デビューの女性人気歌手だった高田みづえ、清水由貴子と共に当時「フレッシュ三人娘」と言われた。共に最も仲が良かった歌手仲間の2人だが、新人賞を争う存在でもあった。
デビュー以後
デビュー以降、アイドルとして『ナッキーはつむじ風』をはじめ、数多くのドラマやCMで人気を獲得。『明星』『平凡』『近代映画』などの表紙を度々飾り、またタレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績を持つ。1970年代後半にはミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラーで出ていた。 前述の「ナッキー〜」はシリーズ2作品で2年間、同じくTBS系の木曜19時台バラエティドラマ枠5作品で2年半、連続して主演を務めている。
歌手としては7枚目のシングル「夏のお嬢さん」が自身最大のヒットであるものの、オリコンチャートでは最高11位にとどまり、これが自身の最高位となる。『NHK紅白歌合戦』には1978年から6回連続出場し、紅組トップバッターを2回務めた。シングル盤のリリースは1986年(昭和61年)まで続けていた。現在は歌手としての活動はほとんどなく、単発的に舞台やイベント、テレビの懐メロ系の番組で歌う程度。
1981年(昭和56年)に上演した『ピーター・パン』は自身初の座長公演であり、またホリプロが初めて手がけたミュージカルという事もあって当初は興行的な成功を不安視する声もあったが、スリムな体型を作り上げ少年役を演じ、この年度のゴールデン・アロー賞演劇賞および大賞を受賞。「郁恵ピーターパン」は7年の間、毎年夏の1ヶ月を代役無しで飛び続け340回・76万人を動員した。そして1987年(昭和62年)、結婚に伴いこの年で『ピーター・パン』を降板。同年10月14日に結婚式・披露宴が行われ「完全独占生中継おめでとう!! 渡辺徹・榊原郁恵結婚披露宴」として日本テレビ系で生放送された。平均視聴率は40.1%(ビデオリサーチ・関東地区)と高視聴率を記録。
日本人としては巨乳アイドルの先駆けとして認知されており、1970年代当時は既成の国内ビキニが手に入らず仕方なくやっと見つけた「当時の感覚でもオバさん臭くてダサい」アメリカ製のビキニで我慢したというエピソードが存在する。
結婚後は主婦タレントとしてバラエティ番組から絵本の読み聞かせ、情報・園芸番組まで幅広く活躍している。特にフジテレビ『ものまね王座決定戦』の総合司会を1987年(昭和62年)から2000年(平成12年)までの13年間にわたって務めた他、同局で1990年(平成2年)前後 - 2007年(平成19年)9月28日の間、夕方→午前枠と何度も時間は移動したものの、ミニ番組形料理番組の看板司会者として約16年もの間担当した。
主な出演作
テレビドラマ
ナッキーはつむじ風(1978年 - 1980年、TBS)主演 - 星野夏樹 役
世にも奇妙な物語 『大蒜』(1991年、フジテレビ) - 石原陽子 役
釣りバカ日誌〜新入社員 浜崎伝助〜(2015年10月 - 12月、テレビ東京) - 浜崎とし子 役
機界戦隊ゼンカイジャー(2021年3月 - 2022年2月、テレビ朝日) - 五色田ヤツデ役
テレビ番組
レッツゴーヤング(1979年、NHK) - 平尾昌晃・太川陽介と共に司会
三枝の愛ラブ!爆笑クリニック(1987年10月 - 1991年3月) - 7代目アシスタント
爆笑!!スターものまね王座決定戦(1987年度 - 1999年度) - 司会
わくわく動物ランド(TBS) - レギュラー解答者
人形劇
ひげよさらば(1984年4月2日 - 1985年3月18日 NHK) - ヨゴロウザ 役
NHK紅白歌合戦
第29回(1978年)から第34回(1983年)まで、6回連続出場を果たす。
主なエピソード
- 相原勇は郁恵の演ずる『ピーター・パン』に強く憧れ、「“ピーター・パンを演じるために芸能界に入った。”」と自ら語っている。
- 2005年(平成17年)には自身の当り役『ピーター・パン』の「宙乗り」に18年ぶりに挑戦。当時の衣装をそのまま着て飛んで見せ、衰えない若さをアピールした。
- 南こうせつの『夏の少女』は郁恵をイメージして作られた楽曲である。
旦那に関して
- 夫の徹は郁恵がデビューした当時からのファンで、部屋には郁恵のビキニ姿のピンナップを貼っていたほど。『風の中のあいつ』で共演することが決定した時は、『太陽にほえろ!』のオーディションを通過したときくらい喜んだという。
- 郁恵が食事を作る渡辺家では、朝食の食卓に丼もの(親子丼、豚丼、鉄火丼)などが並ぶ。郁恵はこれが普通のことであると思っていたが、劇団ひとりに「それはおかしい。だから徹さんがあんなになっちゃうんですよ」と指摘され、驚いていた。
- 徹曰く、「芸能人同士が結婚する時ってさ何らかの騒ぎがあるはずなのに、俺達の時は何もなかったんだよな~」と軽く残念がっていた。
関連動画
外部リンク
本人の項目のウィキペディア ※当項目にここからの多数引用あり