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吐噶喇列島の編集履歴

2024-12-19 18:52:07 バージョン

吐噶喇列島

とかられっとう

鹿児島県の屋久島と奄美群島間の海域にある島嶼群。南西諸島に含まれる。

概要

吐噶喇列島は鹿児島県大隅諸島屋久島種子島口永良部島)の南、奄美群島の北に連なる列島。いずれも火山島である。難読かつ「噶」が機種依存文字のためしばしば「トカラ列島」と表記される。


主要な島(有人島)は、北から順に口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島の7島である(かつてはこのほかに臥蛇島にも人が住んでいた)。上三島(黒島硫黄島竹島)に対して、下七島と呼ばれた。また下七島と上三島をまとめて川辺十島と称した。


全域が鹿児島県十島村(としまむら)に属するが、役場は村外の鹿児島市に置いている。


社会

主要産業は農畜産業と漁業で、肉用和牛の子牛、観葉植物のサンセベリアの生産や早出しの枇杷など。周辺海域は好漁場で、古くから鰹節の産地として知られるほか、トビウオ干物が名物である。


人口は全島合わせて740人ほどにすぎないが、住民の出生率が高い上に本土からの移住者が多く、離島としては珍しく人口が増えているという。悪石島には「ボゼ祭り」と呼ばれる奇祭が存在している。


交通

アクセスはとても悪く、長らく村営定期船「フェリーとしま2」のみであった。鹿児島港から週に2回しか出航しない上、台風シーズンには頻繁に欠航する。


2000年までは定期船はクレーン航送のみの貨客船で、港湾整備が未了だったためにカーフェリーではなかった。同年に初のカーフェリー「フェリーとしま」が導入され、2018年には現行船に置き換わっている。なお、これらフェリーにおいてもデリッククレーンが装備され、引き続きクレーンによる荷扱いも継続している。


船内にはレストランやシャワー室の他、診療室も存在する。ただしこれは船客の診療を行う設備ではなく、毎年の定期健診の時期に島民を巡回して健診するための「移動診療室」を併設しているというもの(そのため診療は停泊中に行う)。


「フェリーとしま2」には予備船が無く、ドック整備による代船は三島村の保有する「みしま」が担当する。「みしま」自体の定期航路も維持したままの就航となるため、この間の十島航路は週1便にまで減少するが、その代わりドックにより一ヶ月近い運休を避けるようにしている。逆に「みしま」の入渠時には「フェリーとしま2」が三島航路も兼任する。


2023年12月に発生した機関室からの火災事故により、「フェリーとしま2」は長期運休を余儀なくされた。「みしま」が緊急で代船に入ったが、普段のスケジュールと異なる形であったことから手が回らず、他所からの代船も使用して凌ぐこととなり、2024年3月から「としま2」復旧の4月までは東海汽船の「あおがしま丸」が傭船されている。


2000年代にも東海汽船から「ゆり丸」が傭船されたことがあった。同船は「フェリーとしま」や「みしま」と異なりカーフェリーでは無い貨客船であったが、十島村では貨客船運航が長く続いたこともあり、度々行われてきたものである。しかし十島航路の船舶の大型化、夜行航路となるため供食設備が必須(「みしま」にも存在しないが、自販機により一部食べ物を販売している)であるなどの条件を満たさなくなったこともあり、東海汽船からの傭船はこの頃までに無くなっている。「ゆり丸」は2022年に退役したが、奇しくも置き換えから間もなく、緊急事態により20余年ぶりに東海汽船から十島航路のピンチヒッター派遣となった。


2022年10月から鹿児島空港と諏訪之瀬島の間に航空便が定期チャーター便として運航している。諏訪之瀬島には飛行場(場外離発着場)が存在しており、これは元々ヤマハリゾートの建設した私用飛行場であった。1983年までは鹿児島まで日本内外航空が、1990年代には枕崎飛行場(廃港。現在はヘリポート)へ東和航空が不定期便を運航していたが、何れも運休となっている。


前述した「フェリーとしま2」故障の際は、通常週2便である航空便が増便されている。


この他、前述の定期船故障時に種子島屋久島航路に就航している高速船(ジェットフォイル)の臨時運航も行われるなど、全力で輸送力不足のフォローが行われた。


1990年まで小宝島ではによる航送が行われていた。艀と言っても数人が乗るのがやっとの小型ボートを沖合に停めた定期船まで走らせ、貨客をそこから乗り移らせるというものであった。波が高ければ艀が横転することがあったり、船から艀に飛び移る必要があるなど危険極まりない交通手段が小宝島への唯一のアクセス方法でもあった。かつては同島以外の一部の島でもこうした航送が行われていたが、同年の港湾設備により離島の艀輸送は全廃されている。かつての艀「小宝(しょうほう)丸」は今も島内で保存されている。


歴史

川辺十島は、第二次世界大戦前は十島村(じっとうそん)として役場を中之島に置いていたが、太平洋戦争後の1946年から51年にかけて上三島を除く十島村は米国の占領下に置かれていた時期があり、この影響で上三島が三島村として分離。復帰後の吐噶喇列島は新たに十島村(じっとうそん)を新設することとなった。


前述のとおり臥蛇島では集団離島による移住のため、1970年を以て無人島となった。1965〜1970年に移住完了目前の臥蛇島を取材したNHKの報道番組のフィルムが現存している他、元島民による訪問が度々行われている。


生物相

アカコッコアカヒゲリュウキュウノコギリクワガタヒラタクワガタコクワガタオキナワスズメウリマユタテアカネアオドウガネカラスアゲハルリタテハなどの固有種などが見られる。


関連タグ

十島村

ボゼガラッパ:吐噶喇列島に関連する妖怪。

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