本項では両方について記述する。
1の概要
1932年に鹿児島市営水陸両用飛行場として建設、第二次世界大戦時は海軍航空隊鹿児島基地となり、練習航空隊の教育などに使用された。1945年は戦争の激化により鹿屋飛行場・知覧飛行場と共に特攻隊の基点として使用された。
1957年に跡地を使用する形で初代鹿児島空港(通称鴨池空港)が開港。滑走路が短く明らかに地方の空港と言えるような存在であった。1966年9月に発生した全日空のフォッカーF27のオーバーラン事故により滑走路の短さや海に面していることから拡張が困難であることが問題視され、1972年3月28日に廃港となり、鹿児島行きの便は現在の鹿児島空港が開港するまでの間、暫定的に宮崎空港が使われた。
霧島市へ移転後は再開発が行われたため旧空港の敷地はややわかりにくくなっているものの、おおむね住所が「鴨池新町」の一帯がかつて空港だった敷地である。
滑走路跡地は鴨池ニュータウンとして開発された集合住宅が建っており、空港敷地内には鹿児島県庁や鹿児島市水道局、鹿児島県警察本部といった行政機関も立地している。滑走路端部のターニングパッドがあったあたりは現在は鴨池緑地公園のサッカー場で、滑走路端の海に出っ張った地形が痕跡として残っているほか、海軍航空隊の記念碑が建っており、ここに海軍航空隊の基地があったことを伝えている。
旧格納庫は南国交通の車庫として、旧空港ビルはテナントビルとして使われていたが、前者は車庫の移転により、後者は老朽化に伴い取り壊され、後者の跡地は「ニシムタスカイマーケット」となっている。スカイとあるように、かつての空港である名残を名前として残しており、店内にも初代鹿児島空港時代の写真などが展示されている。
2の概要
1972年4月1日開港。エプロン13バース、平行誘導路、ILSやVOR/DME、航空照明施設など、当時の東京、大阪両国際空港と同等の設備を備え、当初より国内線とは別に国際線専用ターミナルを擁するなど、ローカル空港としては先駆的な設備であった。市街地から30kmであり、鉄道でのアクセスは悪いが、九州自動車道溝辺鹿児島空港インターチェンジに近いため高速道路を経由したアクセスは良好である。
九州では福岡空港に次いで第2位、日本国内では、都市規模の大きい仙台空港、神戸空港、広島空港を上回っている。
日本航空グループ、日本エアコミューターの本拠地である。
2021年10月にはビジネスジェット専用施設(九州初)が完成した。
空港には天然温泉の足湯があり、無料で使用することができる。
イギリスの航空・空港関係格付会社スカイトラックス社「世界ベスト空港(World's Best Airport)」国内線部門において世界第4位(日本国内のみでは東京国際空港(羽田空港)・大阪国際空港(伊丹空港)に続き第3位)に選ばれた。
その他
- 現空港の開港時は4月にもかかわらず雪が舞うという珍しい天候であった。
- エア・ナウル(当時)が、外国航空会社として初めて就航(1972年12月)したが、機材やパイロット不足で就航率が悪く2日遅れなどの遅延も多く撤退した。なお、同会社は鹿児島空港で唯一アメリカ(グアム)行きの便を発着していた。
- 県が主導する「明治維新150周年記念プロジェクト」の一環として、2017年7月4日、「鹿児島西郷(せご)どん空港」もしくは「鹿児島西郷(さいごう)どん空港」とすることが提案されたが賛否両論となり、結論は持ち越された。