概要
2012年デルタウイング、2014年ZEOD RCと独特の形状のマシンを立て続けにル・マン24時間の賞典外枠であるガレージ56に投入していた日産/NISMOだが、2015年に遂に総合優勝を目指して、WEC(世界耐久選手権)の最高峰であるLMP1クラスにステップアップ。そこで開発されたのが本車である。
ちなみにGT-Rをその名に冠するが、市販車のGT-Rとは一切関係が無い。
2025年2月、日産は北米最大のスポーツイベントである『スーパーボール』の超高額な広告枠を買い取って、前の2台同様奇抜な発想で設計された本車の全貌を明らかにした(詳細は後述)。
しかしWEC開幕戦、第2戦も欠場。大舞台の第3戦ル・マンでようやく3台体制でデビューするも、熟成不足から速さも信頼性も無く、完走扱いは0台という惨敗を喫した。
本車のレース参戦はこの一戦限りとなり、同年末まで開発を匂わせてはいたものの、結局この年限りでプロジェクトは解散。車両もほぼ廃棄されてしまったが、唯一生き残った個体(23号車)がル・マンの博物館で保管されている。
メカニズム
コックピットが車両の中心よりも後方にあるという奇妙な形状は、エンジン駆動においてはフロントエンジン・フロントドライブ(FF)、つまり前輪駆動という点から来ている。
「フロントエンジンのLMPマシン」という前例であれば、パノス・ロードスターS(チーム郷がテレビ朝日とのタイアップで運用し、土屋圭市や近藤真彦らがドライブしたマシン)があるが、これはFR、つまり後輪駆動だった。
あるいは市販車の前輪駆動なら第二次世界大戦前後に中小フランス車メーカーがル・マンに投入し、そこそこの成績を得ていた記録があるが、プロトタイプスポーツカーの前輪駆動は文字通り前代未聞である。
この奇抜な車体構造は、LMP1のハイブリッド4WD規定を用いることで可能となった。
後輪用モーターを追加するという形にすれば、FRと異なり駆動損失の原因やスペース上の制約となるプロペラシャフトを用いることなく後輪を駆動できるからである。後輪が駆動してくれれば、前輪駆動の弱点である全開加速時のトラクションの不足を解消できる。
つまりこのクルマのコンセプトが成立するためのキモは後輪用モーターといえるが、最初は8MJ回生を目指していたはずが結局2MJ回生となり、しかも本番では作動できなかった。これで勝負になるわけが無い。
車両全体の熟成不足も深刻で
- ハイブリッドシステムがダメなら当然回生ブレーキも機能しないため、ブレーキトラブルが頻発した。
- 足回りが脆弱ゆえに縁石に乗ってコーナーを攻めることができなかった
- 途中でドアが閉まらず全開のまま周回するハメになってしまった
- 整備性がたいへん悪く、パーツ交換にかなり時間を要した
など、コンセプト以前の問題が山積みだった。
そもそもなぜフロントにエンジンを搭載したのか?というと、
- LMP1規定はマシン後方の空力規制は厳しいが、前方は緩いという特徴がある
- 後部に空力パーツが少ない方が綺麗に空気を後ろに流せて、後方の乱気流が少なくなる
- ライバルの後輪駆動と違ってリアに細めのタイヤを履かせることができる(前後重量バランスは65:35なので、後輪の負担が少ない)ことで、乱気流を抑えつつディフューザーを大型化できる
などといった考え方から、「空力性能を追求するならコックピットを後方に下げる方が有利」と踏んだためである。
これは日産が独自の調査により「長い直線と高速コーナーの多いル・マンでは空力が最重要」と結論付けたからこそのコンセプトであり、もしきちんと熟成されていればル・マン特化型のマシンとなっていた可能性が高い。
補足
- 前輪駆動といっても市販車に見られるようなジアコーサ式の横置きエンジンではなく、フロントミッドシップの縦置きエンジンである。
- ライバルが使用していたリチウムイオン電池やスーパーキャパシタのようなバッテリーではなく、フライホイールに運動エネルギーとして回生エネルギーを貯めた。しかし2016年型に向けてはバッテリー式に切り替える方針となっていた。
- 後輪用モーターは重量配分の観点からフロントに搭載されたが、その分シャフトを後輪側に伸ばす必要が生じて複雑な設計となってしまった。
評価
一部レースファンからは未だに「FFのゴミ」などと悪口を言われるが、モーターが事実上ただの重りと化した上に縁石にも乗れない前輪駆動でありながら、MRのLMP2以上のタイムを出していたことから、実は結構悪くないコンセプトだったのでは?という見方は根強い。
またFFはウェット路面では走行安定性に寄与するため、雨の非常に多いル・マンでは強力な武器になっていた可能性がある。
本車では発想やメカニズム面以上に、日産のモータースポーツに対する取り組みの姿勢が批判されている。つまり「前輪駆動なんか無理」とかではなく、「続ければ面白かったのに、一戦で諦めてしまった」「貴重なル・マンの出場枠をただ徒に消費してしまった」「目立ちたいがためだけに大金を費やした」「真剣に戦いに来ているライバルたちに失礼」という観点からである。参戦前に「奇抜な発想を許す素晴らしい会社だ」と評価していた人たちも、その顛末には掌を返さざるをえなかった。
本車のことが好きというファンも一定数いるが、これらの意見については同意されることが多く、どれだけ好意的に見ても免れない批判であると言わざるを得ない。
なおプロジェクトは日本の日産本社ではなく北米日産/NISMOが主導で行われていたが、これが失敗の原因だったという説もある。
LMP1に取って代わったLMハイパーカー規定において、2022年に投入されたプジョー9X8もリアウィング無しという大胆な発想で開発されていた。結局芽は出なかったが、1年以上そのコンセプトを維持しており、彼らを見て本車が惜しまれるという人も少なくない。
車体は幾多ものトラブルに見舞われたが、日本のNISMOが開発した3.0リッターV6ツインターボエンジン「VRX30A」はトラブルを全く出さず、公称スペックや熱効率もライバルに見劣りするところが無かったため、唯一本車で手放しに称賛されるポイントとなっている。
その後の日産の耐久レース活動
2016年以降、VRX30Aはプライベーターの「バイコレス」の熱烈な要望に応じて供給された。機密保持のため、リースのような形で行われ、技術支援もあったという。
しかしバイコレスも当時の日産とは別方向にモータースポーツへの取り組みがアレであった(参戦自体は長期間にわたる割に、マシンの進歩が全く見られなかった)ため、戦果を挙げることは無かった。
2011年〜2016年の市販エンジン規定が施行されていたLMP2規定において、日産がシーマ→SUPER GT GT500クラスから転用したV8自然吸気エンジン「VK45DE」は、同クラス最強のエンジンだった。ル・マンでは2011年に初優勝し、2013~2016年までクラス4連覇を果たしている。
ちなみに本車の披露時、日産グローバルのマーケティング責任者ダレン・コックスは放送に向けての打ち合わせで、記者のサム・コリンズからの「GT-R LM NISMOの3台がリタイアしたら何を話せばいい?」という問に「LMP2だ」と答えたというが、実際に「日産勢」最上位はクラス優勝したLMP2マシンであった。
2015年に始まったLMP3規定でもVK50、VK56といった日産のV8自然吸気エンジンが2024年までワンメイクエンジンとして指定されていた。
2017年DPi規定導入の際には、リジェ製シャシーをベースにR35型GT-R用のV6ターボエンジンを搭載した「日産DPi」が参戦。セブリング12時間レースとプチ・ル・マンを制覇するが、電動化を重視していたのか北米日産はあまり本腰を入れておらず、3年ほどで撤退している。2025年現在、GT-R LM NISMO以降の日産のプロトタイプスポーツカーはこれが唯一となっている。
関連項目
デルタウィング/日産ZEODRC…日産が関わった奇抜なル・マンカーたち
スカイラインGT-R…「NISMO GT-R LM」という名前で1995年ル・マンに参戦。こちらは市販車ベースの、れっきとしたGT-Rである。
グループC…日産はフロントエンジン(FR)の「スカイラインターボC」を開発していた。
9X8…奇抜な発想のプロトタイプ仲間。
クラウン…後輪駆動が当然という固定観念の中、前輪駆動+後輪モーターの4WD化がされ、巷を驚かせたという点で同じである。