ハリアー
はりあー
概要
イギリスのホーカー・シドレー社が開発した世界初の実用垂直離着陸機(V/STOL機)である。原型機の初飛行は1960年。1970年代の時点で初期型のハリアーは性能の限界に達していたが、アメリカのマクドネル・ダグラス社は、より洗練したハリアーIIを開発した。
ホーカー・シドレーP.1127
VTOLへの期待
第二次世界大戦終結後、世界各国(特に戦勝国)では次なる戦闘機を模索していた。
これとは別に『どんな場所からでも離着陸できる戦闘機』というのも求められていた。
つまり、VTOL機の事である。
最初に実用化された方法は『テイル・シッター方式』といい、
早い話が通常の航空機を縦にして運用するというものである。
中でもトリープフリューゲルなどはよく知られている方だろう。
当時はすでに核兵器が実用になっており、
どんな国でさえ首都への核攻撃だけは絶対に阻止しなくてはいけなかった。
VTOLはそのための迎撃機として期待され、実際にコンベアXFYなどは穀物サイロ型の偽装格納庫が用意されていた。
テイルシッターなら設計は通常の機と同じようにでき、お手軽にVTOLを実現できる利点がある。
さて、航空機というものは実に厄介なもので、
エンジンや機体設計で得られた「合計得点」の中から、目的にあわせて割り振らなくてはいけない。
つまり『重い荷物を積む』『長く速く飛行する』なら多くの「得点」を割り振らなくてはならず、
『軽い荷物を遅く運ぶ』ならば、その分機動性や運動性に多く得点をわり振れる。
VTOLの為には多くの点数を求められ、その分航空機としての点数を差し引かれるのだ。
そのうえ、この方式も推力が自重を上回らなければ離昇できない。
そして当時のエンジン出力でこの方法は難しく、計画はいずれも中止される事となった。
ジェットVTOLの試行錯誤
そもそもテイルシッター方式には大きな問題があった。
それこそが『着陸が極めて難しい』という問題で、
垂直上昇⇒エンジン出力を落として降下⇒そのままゆっくり着陸
この過程が難しかった。
降下のスピードが速すぎればそのまま潰れて大破するし、
遅すぎれば燃料が少なくなって重量・推力のバランスがますます難しくなる。いつまでも着陸できないのだ。
そもそも1以上の推力対重量比を求められ、高出力のエンジンを求められるのだ。
(VTOLすべてに求められる課題であるが)
そこで次に考えられたのが
『機体は水平のまま。噴射の方向だけ下にむけて垂直離着陸する』
という方法である。
1954年、フランス人技術者ミシェル・ウィボーが「ジロプテール」を提案。
これは「エンジン前方に配置した四基の遠心式ブロワーをシャフト駆動し、ブロワーのケーシングごと回転偏向させることで垂直離着陸を可能とする対地攻撃機」(wiki)とあり、
おそらくX-22実験機のようなものだろう。
この提案は結局フランス政府の興味を惹くことはできず、
ウィボーは1956年、今度は「NATO総合兵器開発計画」(アメリカ出資)に提出する。
この案は最終的にイギリスのブリストル・エンジン社にもたらされ、研究が進められていくことになる。
まず嵩張りすぎ・重すぎのウィボー案を検証しなおし、BE48エンジンを設計した。
さらに1957年には前部にファンを追加し、これを偏向するエンジンを提案。
これでも浮き上がらない事が判明したため、後部ファンも偏向することが決定。これが1958年。
当時は国防予算が大幅に削減されていたが、それでも1959年には試作機2機の製作が決まった。
P.1127『ケストレル』登場せり
1960年7月、最初の試作機「P.1127『ケストレル』」が完成して軍に引き渡し。
しばらくはエンジンテストが繰り返され、使用可能となったのが10月。
同月、機体をクレーンで吊るしての浮揚テストに成功。
11月には単独でのホバリングにも成功している。
P.1127は続く発展型「P.1154」のための実験機として開発されていたが、
諸般の事情(主に資金)でこちらの開発は中止となり、P.1127は実用機として改良されることになった。
1966年、ケストレル実戦機型『ハリアー』が初飛行。
1968年には実戦配備が開始され、ハリアーは「対地攻撃・偵察」を示す符号「GR」がふられた。
ただし練習機の開発は1969年まで遅れ、最初の部隊の作戦能力獲得は1970年半ばとなる。
実戦
ハリアーとフォークランド紛争
最初の実戦は1982年のフォークランド紛争で、GR.3(空軍)とFRS.1(海軍)が参加している。
ただし、この戦争はハリアーにとって最初の試練ともなった。
シーハリアーのレーダーにはBVR(視界外戦闘)能力がなく、しかも航続距離が短かったのだ。
結果的に艦隊を守る事はできず、2隻の艦艇を失う事になってしまった。
(なにもハリアーの能力不足だけが原因ではないが)
地上の上陸部隊への支援任務も数分程度しか上空に待機できず、少数機での運用という事もあって支援に大きな穴が開いたままとなった。
通常の戦闘機では不可能な機動を可能とするといわれたVIFF(Vectoring In Forward Flight)は空戦においてはデメリットばかりが目立ち、実質何の効果も期待できないことも明らかとなった。
ただ、空戦そのものでは(アルゼンチン側がミラージュIIIを出し惜しんだことや新型のサイドワインダーを配備していたといういくつかの要因もあるが)20機を撃墜して損失ナシという優秀ぶりを記録しており、
パイロットの能力と共に高く評価されている。
続くFA.2ではBVR能力が求められ、より強力なレーダーとAMRAAM運用能力が追加された。
湾岸戦争
湾岸戦争(1991)ではアメリカ海兵隊の改良型、AV-8Bが活躍している。
主に低高度の対地支援に活躍しており、そのせいで多くの損害を出した。
肝心の損害は湾岸戦争中に5機(1000ソーティあたり1.5機)を記録しており、
これはA-10の3倍にも及ぶ。
(ソーティは『作戦回数×参加機数』で割り出され、「どれだけ多く使われたか」の尺度である)
これにはさすがに対策が取られ、「高い高度からレーザー誘導爆弾を使う」という戦法に変えてようやく損害は抑えられた。
この戦争はハリアーの弱点を大いにさらけ出す事になった。
エンジン排気は直接排出される仕組みになっており、携帯式地対空ミサイルにはよく捉えられてしまうのだ。
これはハリアー独自の弱点であり、続くF-35では改善されている。