1978年に発売された7枚目のシングル。
当時としては珍しい「初登場1位」を記録した楽曲で、4枚目の『渚のシンドバッド』から4作連続のミリオンセラーを達成。
1978年のオリコン年間チャートでは第2位にランクインした。
直接名前こそ出されていないが、曲の主人公である「私」のモデルは、(無論性別以外であるが)当時西武ライオンズに所属し、希少な左のアンダー気味サイドハンドと角度の大きなフォームで「左殺し」の異名を取った永射保(ながい たもつ)とされている。一方、対峙する「背番号1のすごい奴」、「スーパースター」とは前年に本塁打の世界記録を更新し、一躍時の人となっていた当時読売ジャイアンツの王貞治がモデルとされる。
場面全体のモデルは両者が直接対決した1977年のオールスターゲーム第2戦と言われており、この勝負では永射が王を三振に切って取った。
発表から35年以上経った現在でも、山本リンダの『狙いうち』などと並んで、高校野球の応援歌の定番曲として親しまれている。