プロフィール
来歴
幼少期は勉強もスポーツも苦手だったが、北海道朝鮮初中高級学校在学中よりウエイトリフティングに熱中。平成国際大学進学後、2009年のアジア競技大会ウエイトリフティング競技にて朝鮮代表として出場、+105kg級にて4位。2010年には、第56回全日本学生ウエイトリフティング個人選手権大会+105kg級にて4位、全日本大学対抗ウエイトリフティング選手権大会+105kg級にて5位の成績を残す。
大学4年時の2010年、恵まれた体格とウエイトリフティングの実績を買われ、全日本プロレスがスカウト。2011年1月に入門。練習生期間を7か月で終え、2011年8月17日、地元である北海道登別市総合体育館で太陽ケアと対戦しデビュー、体重を120㎏まで増やした。
同年10月6日、プロレスを引退することが全日本プロレスより発表された。後年、負傷で心が折れ、うつのような状態だったことを語っている。
引退後は体重を落とし、山本喧一が主宰する「パワー・オブ・ドリーム」所属として総合格闘家に転向、整体師としても勤務していた。
2013年4月20日には、札幌市・PODアリーナにて行われた総合格闘技大会「PFC.1」に出場。
2015年5月21日、全日本プロレス・後楽園ホール大会にて李在炅の再入団およびプロレスへの復帰を発表した。リング上からの挨拶で、「ジェイク・リー」に改名を発表。
2019年、チャンピオン・カーニバル準優勝、第7回王道トーナメントでは優勝を果たす。
2021年6月26日、大田区大会で宮原、青柳との史上初の王座決定巴戦を制し三冠王座を初戴冠。
2022年12月、年内をもって退団を発表、12月25日の全日本プロレス後楽園ホール大会が最後の出場となった。
2023年1月1日、プロレスリング・ノア日本武道館大会の第6試合終了後にサプライズ登場。
3月19日、横浜武道館大会にて清宮海斗からGHCヘビー級王座を奪取。その後、中嶋勝彦、丸藤正道、杉浦貴、潮崎豪を下し4度の防衛。
2024年には新日本プロレスのリングに上がり、G1クライマックス出場が決定。
ジェイクと同じ元・全日所属のSANADAと同ブロックになり、開幕初日の7月20日に対決する。