田所浩二、享年24歳。最終階級は少佐。
ジュッセンパイヤー島の戦いで戦死。
恐れを知らぬ勇敢な戦い様から「野獣」と畏れられていた。
部下からの信頼が厚く、その寛大な器量から、「器がデカすぎる」「人間の鑑」「一生大日本帝国の宝物」などといった敬称を付けられていた。
攻防戦の動向
守備隊側の戦力
- 田所浩二少佐率いる第114師団514歩兵連隊、またヴァンホーテン島から撤退してきた、海軍陸戦隊の残存兵及び下北沢飛行第8戦隊10中隊の3機。総兵力114,514人。
上陸部隊戦力
- ビリー・ヘリントン中将をジュッセンパイヤー島派遣軍最高指揮官とした、第36任務部隊4水陸両用軍団(第3、6、4海兵隊師団)
アメリカ軍の上陸
- 07月21日、9時31分、シャム・ゲエム中将麾下の水上戦闘部隊、戦艦ターミナル・三世、重巡洋艦コート、アクシード、サムソン、軽巡クボタイト、駆逐艦スローロリス、ヴォーの一斉砲撃により戦いの火蓋が切られる。この攻撃が指揮所に命中し、殆どの高級将校が戦死した。重症を負った三浦中将は駆けつけた田所少佐に死の間際「ちゃんと日本咥い入れろ〜」と激励の言葉、そして指揮権を渡し死んでいったとされている。
- 守備隊はすぐに沈黙したかに思われ、ビリー・ヘリントン中将は「If there are so many Marines to capture this small island, the victory will not be distorted!」(この小さな島を攻略するのにこれだけの海兵隊がいれば勝利は歪みねぇな)と部下を鼓舞したというエピソードがあるほどで、上陸部隊は3日で島の東部を占領できると当初は予想しており、第3海兵隊師団の上陸を開始した。しかしそれが田所少佐の狙いであった。半地下式の頑強なトーチカに覆われた11か2くらいセンチ速射砲は健在であり、敵の上陸部隊を海岸ギリギリまで引きつけてからの奇襲砲撃による一転攻勢により、上陸部隊に莫大な被害を与え、実際3日間で進行した距離は200mも満たなく戦闘後の海岸は数えきれないほど海兵の死体が浮かび、海は赤く染まっていたという。(イオンモウル海岸上陸戦、詳細は「帰還兵0人-イオンモウル上陸作戦」それと同時に飛行隊も一斉に飛び立ち特攻を掛け、木村少尉らの機は敵の揚陸艦ベンツ、センチュリーを大破させた。(バァン!と大きな音が島中に響いたという。)
戦闘の経過
- しかし、物量と火力に勝る敵軍をいつまでもは止められず、守備隊は分断され、島中央部への撤退を余儀なくさせられる。しかし田所少佐は玉砕禁止令を出し、徹底した遅滞戦術と散発的な夜襲と、硬軟織り交ぜた戦術で敵を翻弄していく。
- 田所少佐は要所要所では、十字砲火にもう一方向加えた三方からの砲火など、革新的な戦術を用い着実に敵に損害を与えていった。
- (戦死した兵の手記にも「三方向(からの砲火)に一方向が敵うわけないだろう」などとあり、守備軍の士気の高さと戦術の完成性を見ることができる。)中でも、撤退を装い、残された飲料用水に仕込んだ睡眠薬で昏睡させた後にレ●プで拷問、敵部隊の情報を聞き出す。など、勝つために手段を択ばない様はまさに迫真であった。しかし内容がノンケに見せるにはあまりにも壮絶であるため、現在は教科書やテレビでの報道は規制されている。
センナン海岸夜襲
- また無線を傍受されていたが「ラーメン屋来タル」の暗号だけで島中に合図をし、一斉に夜襲を仕掛けた逸話がある。これは田所少佐の士官学校時代、毎夜毎夜、空手の稽古のあと近所のラーメン屋の屋台に通っており、その事を知っている各陣地指揮官に伝わる夜襲の合図の暗号だった。
- この夜襲で、突出した米軍をビーチと完全に分断させ、勝った気になり油断していた第4海兵隊師団長M.セッツ・バットマン准将は寝首をかかれ戦死する。この夜襲は敵味方入り乱れての大乱戦となり、「誰が敵で味方か、これもうわかんねぇな」と当時の通信兵の電文にもなる程であった。
組織的抵抗の終結
- このようにあらゆる戦術を駆使し、米軍を苦しめた田所浩二少佐であったが、やがてじわじわ味方も斃されていき、8月10日、士官学校時代の後輩でもあり、彼の副官を務めていた遠野大尉に家族に宛てた手紙を託し、残存兵(負傷兵、看護部隊を除く)とともに玉砕。
- その後負傷兵及び看護部隊は降伏し、かくして戦闘開始から454,5時間(約20日間)、守備隊陸軍88,946名、海軍陸戦隊約8,100名、ジュッセンパイヤー島警備隊1919名 米軍上陸部隊45,450名の犠牲を出したジュッセンパイヤー島の戦いは終結した。
正しい概要
…という内容のネタ・ネットミーム。
「真夏の夜の淫夢」における二次創作で、主要キャラである野獣先輩の蔑称の1つ「ジュッセンパイヤー」を引用して作られた、「太平洋戦争中に太平洋上のドイツ領とみられる島で発生した一連の軍事衝突」という趣旨の物語である。時系列は1944年。
また「ジュッセンパイヤー島の戦い」はこれとは別に、「1919年のアフリカ大陸にて、宗教的不寛容が原因で発生した侵略戦争」という趣旨の物語も存在。こちらは、無抵抗のシモキタという小国(現イギリス領)にコート共和国(アフリカ大陸にある国)が一方的に攻撃をし大虐殺をはじめたことからはじまった。