概要
自動車産業の町デトロイトには、自動車工場で働く多数の工員の通勤需要を満たす必要性もあり、かつては巨大な路面電車網があった。1956年にいったん廃止となったが、近年の路面電車の再評価の流れの中で、2017年にふたたび路面電車が復活している。
歴史
開業~大統合まで
デトロイトの路面電車の歴史は、1863年に馬車鉄道として始まった。その後1900年までに数多くの馬車鉄道や電気鉄道会社が設立され、いくつかの大きな鉄道会社にまとまっていく。当時の市長ヘイゼン・S・ピングリーによる買収の試みを裁判に持ち込むことでかわしたのち、デトロイトの路面電車および周辺のインターアーバンは、1901年にデトロイト・ユナイテッド鉄道(Detroit United Railway)1社におおよそまとまった。
デトロイト・ユナイテッド鉄道の時代
デトロイト市の急成長を背景に、路面電車はデトロイト・ユナイテッド鉄道の重要な収入源となったが、一方で市民の不満は高まっていた。主な要因は激しい混雑だった。人口の急増に設備拡充が追い付かず、ラッシュ時の停留所は修羅場と化していたのである。また、運転手が乗客を積みきれないと判断すると、車内に余裕があっても停留所に止まらずに走り去ってしまうこともあった。
こうした状況の要因は前述のとおり主に人口増加であったのだが、デトロイト・ユナイテッド鉄道の市営化を求める意見が強まり、1919年、路面電車の市営化を公約に掲げたジェームズ・J・クーゼンズがデトロイト市長に当選する。
市営時代
ところが、市営化は一筋縄ではいかなかった。クーゼンズはデトロイト・ユナイテッド鉄道から直接路面電車を買収する計画だったが、3150万ドル(現在の約4億ドル)という巨額の買収費用が仇となり、この案は否決された。代わりに市議会が支持したのは、デトロイト・ユナイテッド鉄道の主要な路線をデトロイト・ユナイテッド鉄道と市が共同所有する地下鉄ないし高架鉄道に改築し、市が十分な資金を手に入れた段階でデトロイト・ユナイテッド鉄道を買収する案だった。しかしデトロイト・ユナイテッド鉄道の市営化を公約していたクーゼンズはこれに拒否権を行使。市議会の再審議でこの案は1票差で否決されることとなった。
結局、クーゼンズは並行する市営の路面電車を運行することでデトロイト・ユナイテッド鉄道に圧力をかけた。さらに路線の使用許可を取り消すことを予告したため、デトロイト・ユナイテッド鉄道も市営化に同意せざるを得なくなった。こうして1922年、デトロイト市はデトロイト・ユナイテッド鉄道の市内路線を1985万ドルで買収した。1922年3月15日、デトロイト市路面電車局(Department of Street Railways)が正式に運行を引き継ぎ、「デトロイト市電」が誕生した。なおデトロイト・ユナイテッド鉄道はインターアーバン路線を引き続き運行したが、市内路線を失ったことによる経営への打撃は大きく、1927年に東ミシガン鉄道となったのち1932年に廃止となっている。
デトロイト市電は、小規模な停留所を削減し、主要な停留所で平行して走るバスに接続をとることで評定速度向上を実現した路線もあるなど、先進的な運行を行ったことで知られる。しかし世界恐慌による利用者減少、モータリゼーションの進展で路線撤去が進み、1956年に路面電車はいったん全廃となった。
その後
デトロイト市路面電車局は路面電車の廃止後も市営バスの運行主体として存続し、1974年にデトロイト市交通局(Detroit Department of Transportation)に再編された。また1987年には、路面電車にかわる新たな都市交通機関として、新交通システムのピープルムーバーが開業している。1976年には観光用として路面電車が再敷設され、ポルトガルのリスボンなどから入手した車両で運行されたが、これは2003年に廃止となった。
一方、2006年にはふたたび交通機関としての路面電車を敷設する案が浮上。2011年、いったんバス高速輸送システム(BRT)の導入に計画が変更となるも、2013年に路面電車の建設計画も継続されることが決まった。そして紆余曲折を経て、2017年、新たな路面電車Q-LINEが開業した。51年ぶりにデトロイト市に路面電車が復活したことになる。