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トウルビヨン

とうるびよん

トウルビヨン (Tourbillon) は、フランスの競走馬・種牡馬。トウルビヨン系の祖。
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概要編集

トウルビヨン(Tourbillon)は、フランス競走馬である。


競走馬時代編集

トウルビヨンは1930年7月に競走馬としてデビューし、デビュー戦を優勝した。そのわずか2日後に出走したレースで2着に敗れた後、翌8月にドイツのレースに出走し優勝。帰国後出走した仏グランクリテリウムでは重馬場に足をとられ6着に敗れた。

翌1931年、トウルビヨンはグレフュール賞、オカール賞、リュパン賞と重賞を3連勝し、そしてフランスのダービーに当たるジョッケクルブ賞も2着馬に2馬身の着差をつけて優勝した。

しかしその後は勝利を上げる事は出来ず、競走馬を引退し種牡馬となった。

生涯戦績12戦6勝。


種牡馬として編集

種牡馬となったトウルビヨンは、馬主のマルセル・ブサックが所有するフレスネルビュファール牧場で種牡馬となった。トウルビヨンは2年目の産駒からゴヤを出し、その後もジェベル、カラカラ等の名馬を輩出し、1940年、1942年、1945年にはフランスリーディングサイアーに輝いた。


トウルビヨンの成功はトウルビヨンの母方に入っているジェネラルスタッドブックに遡る事のできないアメリカ発祥の血統、すなわち雑種血統がそれまでのサラブレッドにない活力を与えたためと言われたが、この雑種血統がためにイギリスでは1913年に制定されたジャージー規則によって、トウルビヨンとその子孫はサラブレッドとは認められなかった。

イギリスで1949年にはジャージー規則が廃止され、トウルビヨンの血統もサラブレッドとして認められるようになったが、これはフランスでのトウルビヨンとその子孫の活躍も要因の一つであった。


トウルビヨンは1954年7月26日、フランスのジャルディ牧場で脳卒中を発症して倒れ、安楽死処分された。


関連タグ編集

31世代 競走馬 種牡馬

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