ハリガネロック
はりがねろっく
ユウキロック (本名(旧姓):松口 祐樹(まつぐち ゆうき)、1972年4月16日 - )
大阪府池田市出身。
解散後はお笑い養成所の講師、構成作家、ライターなど様々な分野で活動し、自身を「何でも屋」と称している。2021年2月26日をもって吉本興業を退所。同年2月27日からフリーランスとして活動。
大上 邦博 (おおうえ くにひろ、1973年8月7日 - )
奈良県葛城市出身。
2016年2月20日の舞台を最後に、芸人を引退。
引退後は大阪府東大阪市でご当地アイドルなどのプロデュースを行うSAKURA entertainmentに所属し、「おおうえくにひろ」名義でMCタレントとしてイベント出演などで芸能活動を行っている。⇒事務所プロフィール
漫才を中心に活動を行っており、悪役ぶるユウキのボケと柔和な大上のツッコミが特徴(ユウキがツッコミを、大上がボケを担当していた時期もある)。漫才では主に「ぼやき漫才」が多く、ネタ作りは二人で行っているが、ボケを細かく作っているのはユウキ。
結成当初は過激な内容を含む漫才をすることが多く、そのせいかM-1グランプリの第1回大会(2001年)で決勝進出を果たした際のコンビのキャッチフレーズも「武闘派」であった。その代表的な例として、生放送であるM-1(第1回大会)の最終決戦で行った漫才の中でユウキが「薬物を打つジェスチャー」をやったことなどが挙げられる。この出番直後、2人はネタの内容を当時吉本の常務であった人物に注意されてしまったという。その後、徐々にコンプライアンスが厳しくなっていった時代の流れと共にスタイルも変えざるを得なくなり、その後は「ぼやき漫才」から「漫才コント」へとシフトするようになっていったとユウキは自身の著書で語っている。
ネタの最後には大上は普通に礼をし、ユウキが「THANK YOU!!」と叫んで終わるスタイルも特徴的であった。2001年の第1回M-1グランプリ決勝では、この締めの一言を言った際にこの日一番の歓声が上がっていた。
一時期、ユウキと大上がネタ中にある一つのことにぼやき一緒にツッコむ「ユニゾンツッコミ」を披露しており、ハリガネロックの代名詞の一つとも言われていたが、ユウキの「漫才の中身で勝負したい」という思いから次第にやらなくなっていった。