概要
「気高き主」あるいは「高き館の主」という意味の名で呼ばれていた。
これはおそらく嵐と慈雨の神バアルの尊称の一つだったと思われる。
パルミュラの神殿遺跡でも高名なこの神は、冬に恵みの雨を降らせる豊穣の神であった。
一説によると、バアルの崇拝者は当時オリエント世界で広く行われていた豊穣を祈る性的な儀式を行ったとも言われる。
パレスチナ南西部にいたペリシテ人もバアル・ゼブルを崇拝しており、彼らの都市エクロンに神殿があった。
しかし、イスラエル(カナン)の地に入植してきたヘブライ人たちは、こうしたペリシテ人の儀式を嫌ってバアル・ゼブルを邪教神とし、やがてこの異教の最高神をユダヤのラビ達は語呂の似たバアル・ゼブブ(Baʿal Zebûb)すなわち「ハエの王」と呼んで蔑んだ。
さらに露骨にいえば、バアルを糞の山、バアル信者をそれにまといつく“ハエ”として揶揄するための蔑称である。
ハエは古代宗教において霊魂の象徴として扱われており、ギリシャでは悪霊を運ぶ存在とされていたことからアクティオン神殿でゼウスに生贄を捧げてハエ避けを祈願したという。
そしてウガリットの文献に記されたバアルの権能の一つこそが、ハエに例えられる“病”を駆逐する力である。
旧約聖書ではバアル・ゼブブの呼称が「列王記 下」一章に記されており、バアル・ゼブブに病の治癒を伺ったアハズヤ王に対して主の御使いが呪いの言葉をエリヤに言伝をする場面がある。時代が下った新約聖書では、奇跡を起こすイエス・キリストに対してエルサレムの律法学者が「あの男はベルゼブルにとりつかれている」、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言う場面があり、悪魔としてのイメージが完全に定着している。
プランシーの「地獄の辞典」では、ギリシャ神話のバッカス、トルコの豊穣神プリアポスや、スラブの善神ベロボーグと同一視されると解説している。