ネタバレ注意!
※この記事は27巻掲載のエピソードが紹介されています。ネタバレを回避したい方はただちにブラウザバックを推奨します。
C-1ファイナリスト!!
笑いの今昔コンビ出陣!!
No.297
【ピンチャン】
ヒジカイカイカイカイカイカイカイカイカーイ!!
オッオー!! オッオー!!
(例の出囃子)
ピンチャンとは
・・・もう一度言おう、売れないお笑い芸人髙羽史彦と最悪の呪詛師羂索がタッグを組んだ漫才コンビである。
年の差1000歳以上という訳の分からないコンビであるが、まるで10年は修行を積んだかのようなピッタリの呼吸で織りなすしゃべくり漫才が特徴。名前の由来は「ピンチとチャンス」
塩顔のイケメン羂索とお笑いモンスター髙羽は、漫才の天下を取るべく夢の舞台へと駆け上がる!
結成の経緯
事の発端は羂索を足止めするために立ちはだかった髙羽史彦との一騎打ちに始まった。
髙羽の術式【超人(コメディアン)】の全能とも言える能力に驚愕した羂索であったが、”面白いこと”を千年探求してきた羂索はお笑いにも深い見識を持っており、独りよがりでお客を意識していない髙羽のネタと甘ったれた姿勢をロジカルに、そして的確に指摘することで一転窮地に追い詰めた。
しかし、土壇場に追い詰められた髙羽は「何故お笑いをやっているのか?」と自分の原点を見つめ直したことで己の不甲斐なさを自覚し、芸人としての覚悟を決め、思わず羂索が見惚れるほどの土下座をして芸人としての至らなさを謝罪。「オマエを胃袋吐くまで笑わせてやる!!」と啖呵を切り、怒濤のお笑い劇場を繰り広げる事になった。
髙羽が腹をくくったことで【超人(コメディアン)】の能力は完全に開花し、畳みかけるようなボケの連打によって羂索をハジケまくったコント合戦へと巻き込んだ。自身が今まで経験したことの無い”面白い”戦いを心から楽しんだ羂索であったが、同時に冷静な頭脳は未だかつて無い危機を察していた。
「だがこのままでは私は負ける」
それというのも、【超人】が生み出したギャグ空間においてはこちらの攻撃は種類を問わず髙羽には無効化されるのに、髙羽からの攻撃は普通にダメージとして蓄積されてしまうのである。コレを打開するにはボケで髙羽から主導権を奪うしか無いのだが、芸人でも無い羂索にはノリツッコミめいた応酬で食い下がることしか出来ず、延々とじり貧なコント合戦を繰り広げるハメに陥ってしまった。これは【超人】の能力が「相手のイメージをもフィードバックする」言わば「魂の共鳴」とでも言うべき境地に達していることも関係しており、相手の調子が続く限りどう足掻いても羂索には勝ち目が無いのである。
そこで羂索は発想を変えた。こちらの攻撃が通じないのならば、髙羽のお笑い欲を満足させることで【超人】を終息させるしかない。それはすなわち、「相方と一緒に芸人の夢見る舞台C-1グランプリに出場する」という髙羽の夢を叶えることであった。
かくして羂索は「相手のイメージをもフィードバックする」【超人】の能力を逆手にとってC-1の舞台を生み出し、髙羽の相方として側に立つことになった。
異色すぎるお笑いコンビ【ピンチャン】誕生の瞬間である。
劇中で悪逆非道の限りを尽くしてきた羂索が漫才師になって髙羽と漫才を披露するというシュールすぎる絵面は読者に凄まじい衝撃を与え、その後の顛末も含めて呪術ファンの情緒をジェットコースターのように揺さぶることとなった。
ちなみにピンチャンとは、ピン芸人になる前の髙羽が組んでいた漫才コンビの名前である。更にマニアックな話をすれば、地下芸人の星と称されるチャンス大城がかつてコンビを組んでいた相方の芸名が玉置ピンチ!であり、ここから着想を得た可能性もある。
何故漫才なのか?
一見すると突拍子も無いやり方ではあるが、これは【超人】の特性を踏まえると完璧な対処法なのである。
箇条書きにすると
①髙羽が夢見るシチュエーションを叶えることでこの場の主導権を奪う
②髙羽をツッコミに立たせることでボケ攻撃を封殺する
③最後はオチを付けて〆る漫才の様式を活かすことで【超人】のギャグ劇場を終演に導く
といった具合に、極めて合理的な戦法と言える。奸智に長け、お笑いにも理解のある羂索ならではの発想であろう。
漫才の出来は?
ピンチャンの漫才ははっきり言って読者からは賛否両論な評価である。髙羽と羂索がスーツを着て一緒に漫才しているという絵面が既に面白すぎるのでスルーされがちであるが、お笑い好きな読者からは「セリフが多すぎて目が滑るし、実際に漫才でやってもテンポが悪くて多分スベる」「要所要所は面白いが長々とやり過ぎ」「それなりに笑えるがファイナルに行ける内容では無い」と辛い審査をされている。
これは髙羽のお笑い力(羂索はあくまで髙羽の願望に合わせているだけなので、漫才のネタは髙羽自身が考えたものと捉えるのが妥当である)は客観的に見ればこの程度のレベルであるという残酷な事実を表しているとも言える。
髙羽本人にも自覚があるのか、自分の能力で作られた舞台とお客なのに、ピンチャンの応援団はイケメンである羂索の顔ファンばかりと、かなり切ないことになっている。
一方の羂索はノリノリでこの漫才をやりきっており、普段の悪辣さが嘘のようになりを潜め、終始楽しげにボケたり下らない下ネタを連発している。これが髙羽を満足させるための演技なのか、羂索の素の姿なのかは不明だが、普通の戦いでは体験出来ない面白さを心から楽しんでいたのは確かである。
何もかもが違う髙羽と羂索であるが、「面白いことが大好きで、お笑いの好みが一緒」という点では同好の士であり、出会い方や立場が違えば親友になり得たかも知れない者同士であった。ピンチャンとは、そんな両者が何もかもを忘れて”漫才”という二人だけの世界で語り合い、そして互いを理解し合った一時の夢だったのである。