「ふふふ……お前が新しい実験体か、さぞかし……
ごほん、主か、Guten Tag……フランケンシュタイン城だ。」
CV:中原麻衣
イラストレーター:ケースワベ(旧)、村上ゆいち(:RE)
概要も実験場だと思えば、ワクワクするな
2015/2/5~2/20開催イベント『古都のお宝を探せ!』で入手出来る城娘。海外の城娘としては初。サービスが始まって2か月足らずで実装されたという面でも多くの人に驚かれた期待のニューフェイス。
【E-4 大将兜決戦 中級2】の大将兜討伐後にランダムドロップ入手可能だったが、現在は入手不可。
ドロップ率が低く、多くの殿が泣いた。
しかし、千狐の紹介から、その怪物は何れまた皆の前にあらわれると明言されているので、今後の出番に乞うご期待。
…という事でREで装い新たに登場。ガチャで。
ガチャで。
難しい上にドロップ率が低く、更に短期間という多くの殿が絶望に苛まれたイベントを考えると、回せばいつでも出る可能性があり、難しいイベントを無理してこなす必要が無くなった分心労は減ったかもしれないが、今度は懐に優しくない子になってしまわれた。ただ、生みの親はこれにより邂逅できたので、やはりこれで良かったのかもしれない。
リニューアル前は最高ホロ扱いであったがREでは☆5と金レア相当、ホロに限りなく近い金レアといったところ。レアリティは下がったが、性能はリニューアルに伴う性能の変更で非常に面白いものを持った子になっている。
ちなみにリニューアルに伴い、作画担当が変わっている事が明言されている。リニューアル版の彼女のデザインは村上ゆいち氏が担当している。
見た目と性格
青のショートヘアーに碧眼、可愛らしい猫口をしたスレンダーなボディの城娘。でっかいゴーグルを頭にかぶり、ツギハギなドレスを身にまとった姿をしていたが、REにて城娘時は普通の白衣を、御嬢時はスチームパンクなドレスで身を包むようになった。殿の事は「あるじ」と呼ぶ。
傍にいるちっこい妖怪みたいなものは彼女が作った人造人間。御嬢時には小さくなっているが、城娘時にはまさにフランケンシュタインと言うべき筋骨隆々な巨人(本人曰く、天守)となる。
ときどき制御できないときがあり、始末に終えず逃げる。
自称「マッドサイエンティスト」で、兜がどんな原理で動いているのか確かめたくなったり、倒した兜を持ち帰って実験したり、万物融解液という物騒な物を作る、兜を錬金術の素材にしようとしたり…etc
ともかく、実験大好きな城娘。自分の探究心を満たすためなら神をも恐れぬと自慢げに語る。この二人に会わせると大変な事になりそう。
ただ、生み出した実験動物が不気味という事でみんなに避けられてるらしく、孤独を感じている。人造人間を恐れず、彼女に傍に寄り添える殿になってあげよう。
性能の力を見せてやろう!
貴重な対空槍でありながら耐久、防御、火力、範囲のいずれも優秀。
対空0の槍城ならば空中への必殺技がすさまじく高い「攻撃」で計算されるが、瞬間処理という役目では大きく差が出るので、対空値を持つばかりに空中の集団を纏めて必殺技で処理するのはやや苦手。
REでは件の人造人間を使わず、自分が武器を持って戦うようになった(立ち絵ではデカいドリルハンマーを手にしている)。それに伴い役職が槍から鎚に変更。以前の強みであった広範囲は無くなったものの、耐久防御火力は相変わらずであいつがいなくても充分強い怪力乙女である事が判明。最大巨大化時のスキルが兜の足止めである事から、本陣近くに置き最終防衛線として活躍させるもあり、最前線に置いて後衛の負担を減らすという事もできる。
流石に数値上の性能はレアリティが☆2つ離れている名古屋城と比べれば一手も二手も劣るが、彼女の面白い所は配置後一定時間の経過で発動可能な計略スキルで件の人造人間を呼び出せること。彼女と同じ鎚属性らしい攻撃をし、並の小型兜ならばモノともせず殴り殺していく。攻撃オブジェクトを呼び出す城娘は少なくないが、彼女のオブジェクトは中でも耐久、火力に優れ、非常に強力。ゲージがたまりさえすればいくらでも呼び出せるため、マップを人造人間だらけにして遊ぶこともできる。ただこれ、戦闘終了後にどう始末するのだろうか…
史実
ドイツのダルムシュタットより5kmほど南にある、丘の上に造られた城で、フォン・フランケンシュタインの家名を受け継ぐ貴族によって13世紀以前に建てられた。
かつては相当の大きさの要塞であったが、現在は2つの塔と礼拝堂を残すのみとなっている。
17世紀後半から18世紀初頭において、この城は錬金術師であり自然哲学者のヨハン・コンラート・ディッペルの住居となった。彼はディッペル油の発明や、ハインリヒ・ディースバッハと協力して紺青を発明したことで知られている。
ディッペルは時に正統でない考えを持つことがあり、異端の咎で収監されていた時期もあった。
この地域の伝承によると、当時ディッペルは死体泥棒だと非難されていたが、彼が解剖学にも興味を持っていたことを考えると、あながち根拠のない非難であるとも言い切れない。
また、ディッペルは「フォン・フランケンシュタイン」と署名することがあったが、実際はフランケンシュタイン家の子孫ではなかった。