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プロフィール編集

名前ラウラ・ヴィルヘルミナ・ニッシネン
年齢
  • 15歳(1942年秋)
  • 17歳(1944年末)
誕生日7月31日
愛称「ラプラ」
所属
  • スオムス空軍 飛行第24戦隊 第2中隊
  • スオムス空軍 飛行第24戦隊 第1中隊(隊長、1942年秋)
階級
  • 曹長
  • 予備士官
  • 少尉(1942年春)
  • 中尉(1942年秋)
使い魔コリー
使用機材
  • ビヤスター F2A バッファロー
  • 宮菱重工業 零式艦上戦闘脚二二型甲(MI-685号機)
  • メッサーシャルフ Bf109G-2
  • メッサーシャルフ Bf109K-4(MT-225号機)
使用武器
  • DP28軽機関銃
  • MG42機関銃

イメージモデル編集

名前:ラウリ・ヴィルヘルム・ニッシネン(1918~1944)

愛称:「ラプラ(Lapra)」

所属:フィンランド空軍

撃墜数:32.5


マンネルハイム十字章叙勲者で唯一の戦死者。

ヨエンスー出身。1936年軍に志願、第3基地航空隊で整備兵となった後、

1938年にISK(戦闘航空学校)に入校。

1939年3月1日、下士官操縦者として飛行第24戦隊に配属。

冬戦争中は第3中隊に属し爆撃機4機の撃墜を記録。停戦前に曹長に進級。

1942年1月21日、第2中隊に移動。同年3月30日、予備少尉に任官。

同6月8日、20機目の撃墜を記録し第69番目のマンネルハイム十字章受勲資格を得、

7月5日に授与された。

1943年3月26日、中尉として士官学校を卒業。6月21日、第1中隊の中隊長となった。

1944年6月17日、ヘイモ・ランピ少尉を僚機としIl-2へ降下攻撃にかかったところ、

上方から右翼を損失したウルホ・サルヤモ中尉機が衝突し戦死。

人物像編集

下士官からの叩き上げで中隊指揮官となり、スオムス軍人最高の名誉とされるマンネルハイム十字章受勲者にまで上り詰めた努力家。

スオムスのウィッチ中でも10指に数えられる精鋭で、戦場では冷静かつ勇猛果敢な狩人。

1942年当時の飛行第24戦隊においては新人グループをまとめるリーダーの一人で、新人にとっては鬼教官。しかしただ厳しいばかりではなく、スオムスのトップエースながらやや体力面が弱いエイラ・イルマタル・ユーティライネンには「お前はエースなんだ。こんなことでへばってどうする」と叱咤激励したりしている。


訓練での厳しさ、口数は少なく不言実行、ぶっきらぼうな口調で近寄りがたい印象を与えるが、他愛のないイタズラに興じたり、ゲームやレクリエーションには壁を作らず参加するなど、心根は気さくな性格。同僚のウーラ・サルヤモによれば「表情からは感情が読めない」とのこと。

カードゲームの類に滅法強く、時にはこの手のことに勘の働くエイラと組んで、観戦に来た高級将校や政治家からお菓子・嗜好品を巻き上げていた。

ニパはブラフが全然ダメで、負けてばっかりだから、時々組んで勝負してた」とは本人の弁。

安眠妨害されるのが嫌いなようで、一度エイラとニパが「ラプラの笑顔を見たい」と寝込みを襲ったところガチギレし、2人だけトレーニングのメニューを倍増されたことがあった(笑顔は見れたようだが)。

甘党。休暇でヘルシンキに来た時、上官のエイニ・アンティア・ルーッカネンの行きつけのカフェにザッハトルテがあると知るや、ニパにカードでの負け分を支払わせてまで食べようとした。


1944年初夏の戦闘で、コントロールを失った味方のウィッチと空中接触し墜落、重傷を負う不運があったが、その後戦線に復帰している。


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ストライクウィッチーズ スオムス

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