本名:ロナルド・デヴィッド・ウッド(Ronald David Wood)
1964年、イェーズリー(ウェスト・ドレイトン駅の北側)で活動していたモッズ・バンド「サンダー・バーズ」に加入。
1965年、サンダー・バーズは同名のバンドがあったため、「バーズ」に改名。
1967年、バーズはアメリカのバーズと名前が被ったため、「バーズ・バーズ」に改名したが解散。
第一期「ジェフ・ベック・グループ」にバッキング・ギターで参加。度重なるランナップ変更の末、ベースに回される。
1968年、エディ・フィリップスの後任ギタリストとして「クリエイション」に加入する。同年クリエイション解散。
1969年、ジェフ・ベック・グループを解雇されるが、後任のダグラス・ブレイクが下手だったため呼び戻され、アルバム「ベック・オラ」のレコーディングに参加。ウッドストック・フェスティバル(1969年8月15~18日)に参加予定だったが、前日にバンドが解散。
スティーヴ・マリオットの後任ギタリストとして「スモール・フェイセス」に加入し、バンド名は「クワイエット・メロン」となるが、更に改名して「フェイセズ」となる。
1973年、ロッド・スチュワートがソロアルバム「シング・イット・アゲイン・ロッド」で大成功を収めたため、バックバンド扱いされたフェイセズのメンバーとの仲が険悪となる。
1974年、初のソロ・アルバム「俺と仲間(I've Got My Own Album to Do)」を発表。
ローリング・ストーンズの「イッツ・オンリー・ロックンロール」が発表されるが、タイトル・ナンバーの実際の作曲者はロン・ウッドであった。
1975年、ジェフ・ベックの推薦でローリング・ストーンズのレコーディングに参加。これにはミック・テイラーの後任ギタリストを決めるオーディションの意味もあった。
4月のアメリカ・ツアーで、ローリング・ストーンズのサポート・ギタリストとして発表される。
フェイセズが解散。
1976年、ローリング・ストーンズに給料制の契約メンバーとして加入。参加後初のアルバム「ブラック・アンド・ブルー」が発表される。
1977年、キース・リチャーズを迎えたソロ・プロジェクト「ニュー・バーバリアンズ」が開始される。
1993年、ビル・ワイマンの正式脱退後、ローリング・ストーンズの正式メンバーに昇格する。