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ブライアン・ジョーンズ

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ぶらいあんじょーんず

ブライアン・ジョーンズとは、イギリスのロックバンド「ローリング・ストーンズ」の元リーダー兼ギタリスト。

概要

1942年2月28日生まれ、1969年7月3日没。

1962年、イーリング・ジャズ・クラブにてミック・ジャガーキース・リチャーズに出会い、その後チャーリー・ワッツビル・ワイマンを加え1963年にローリング・ストーンズを結成しデビューする。

ほとんどの楽器をマスターしていたものの、作曲を苦手としていたため次第にバンドの実権をミック・ジャガーとキースに奪われ、麻薬に溺れるようになる。

さらに、よく言えばナイーブで自分の世界に籠りがち、悪く言えば神経質でコミュ障気味な人物であったようで、虚言癖や彼女とのデートのためにセッションをすっぽかすというリーダーとしてあるまじき行為の数々もメンバーの不興を買っていた。ビートルズなど外部の音楽仲間からは比較的好意的に見られていたようであるが、ジョン・レノンは「最後辺りは、彼から電話が来るのをみんな怖がっていた(必ずトラブルの尻拭いを頼まれるため)」とコメントしている。

その後、ブライアンの振る舞いに愛想をつかした恋人がキース・リチャーズと恋仲になってしまったことに気付き激昂したかと思うと、娼婦らしき女性達との性交を強要する暴挙に出る。ことは未遂に終わったもののこれ以降関係者は口を揃えてブライアンが壊れてしまったとコメントしている。

1969年に脱退。

その約1か月後、自宅のプールで遺体となって発見される。

死因は「酒と薬物による不運な出来事」として処理された。

葬儀でストーンズのメンバーが参列したのはワッツとビルの2人だけだった。

その後もジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンドアーズジム・モリソンニルヴァーナカート・コバーンが同じ27歳で死去しており、27クラブという都市伝説が生まれる。

メンバーからの評価

  • 「奴は周りの人間を本当に酷い目にあわせた」、「精神的に不安定で、いつもイライラしていた」、「俺が注目を浴びると凄く嫉妬した」(ミック・ジャガー)
  • 「ブライアンは全てに不満を持ち、いつしか音楽を作るのを辞めた。人を裏切りスターになりたがった」(キース・リチャーズ)
  • 「一緒にいて楽しいやつじゃなかった」、「ブライアンにバンドを率いる能力なんてなかった」(ワッツ)
  • 「何をしても弱気な面と誰にでも平気に嘘をつく悪党の2面性があった。特に薬物に関しては信用出来なかった。彼は好きだったが、生まれつきの嘘つきだった方が悲しい」(トム・キーロック)

…と散々な言われようである。ブライアンと最後まで友好的だったのはビルのみだったとされ、彼女を奪われた時は流石に怒ったものの最後まで脱退に反対していた。ビルは後年「ローリング・ストーンズのクリエイターは彼(ブライアン)だ。彼がいなかったら別のバンドになっていた」と評価している。また、ミックも「俺たちはある意味ブライアンを虐めていた」と彼を冷遇していたことを後悔する発言をしている。

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