概要
1965年にロサンゼルス(カリフォルニア州)で結成されたロックバンド。
ボーカルのジム・モリソンは独特の世界観の詩、過激でセクシーな振舞いで、ロック・スターとしてカリスマ的人気を博した。
●オリジナル・メンバー
ジム・モリソン:ボーカル
来歴
1965年
レイ・マンザレクはUCLA映画科の同級生だったジム・モリソンと再会。モリソンの住む廃ビルに遊びに行き、ポエトリーリーディングを聞いて衝撃を受け、モリソンを中心としたバンドの結成を考える。
マンザレクは兄リックとジム、知人のジョン・デンズモアに声をかけ、デモ・テープを制作する。
その後、パティ・サリバンが加わり「ドアーズ」と名乗り活動していたが、リックとジム、サリバンはバンドを離れ、ロビー・クリーガーが加入。サリバンが抜けてベースがいなくなったため、マンザレクがローズ・ピアノで低音を担当し、クリーガーもギターを指弾きする事にした。
1966年
「ラブ」のアーサー・リーの薦めでウィスキー・ア・ゴーゴーに出演していたドアーズを見たプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドは彼らをスカウトし、エレクトラ・レコードと契約。
1967年
1月にデビュー・アルバム『ハートに火をつけて』がリリースされた。世間の耳目を集め、2nd.シングルの『ハートに火をつけて』も大ヒットし、ドアーズは一躍人気バンドとなった。
10月にリリースされたアルバム『まぼろしの世界』も絶賛され、バンドの地位は確かなものとなった。
ニューヘイブン(コネチカット州)でのライブ中、モリソンが警官を挑発したためステージから引きずり下ろされて逮捕され、ライブ中に逮捕された最初のミュージシャンとなった。
1968年
アルバム『太陽を待ちながら』がリリースされ、シングル・カットされた『ハロー・アイ・ラブ・ユー』が大ヒット。
1969年
3月のマイアミ(フロリダ州)でのライブ中、モリソンが観客を罵倒し、フェラチオの仕草をしたり、オナニーをしたりしたため逮捕され、軽犯罪容疑での裁判が1年半続くことになる。その間にモリソンはブクブク太ってしまった。
7月にアルバム『ソフト・パレード』がリリースされヒットしたが、これまでのアルバム程の評価は得られなかった。
1970年
アルバム『モリソン・ホテル』がリリースされ、原点に立ち返ったブルース色の強い作品となった。コアなファンたちの間の評価が回復するが、モリソンが起こした事件のため保守的な地域で出禁をくらい、思うようにライブ活動ができなくなった。
モリソンは声のコンディションが悪化し、引退を決意する。
1971年
アルバム『L.A.ウーマン』がリリースされた。デビュー・アルバム同様、録音は一発録りに近く、ライブ感あふれる内容で評価が高くセールスも好調だった。
レコーディング終了後、モリソンはガールフレンドのパメラ・カーソンと共に休養のためパリに渡ったが、7月3日にアパートの浴室で死亡した。
モリソンの後任にはイギー・ポップ、ポール・マッカートニー、ポール・ロジャースなどが検討されたが実現せず、マンザレクとクリーガーがボーカルを担当することとなる。
アルバム『アザー・ヴォイセズ』がリリースされたが、評価を得ることはできなかった。
1972年
アルバム『フル・サークル』がリリースされた。シングル・カットされた『蚊』がヒットするが、アルバムの売り上げは低調で、評価も低かった。
やはりモリソンの抜けた穴は大きく、ドアーズは解散する。
1978年
存命中のモリソンのポエトリーリーディングに旧ドアーズ・メンバーが演奏を付けたアルバム『アメリカン・プレイヤー』がリリースされた。
1993年
ドアーズがロックの殿堂入り。
2002年
マンザレクとクリーガーが「The Doors 21st Century」(21世紀のドアーズ)として活動を始めた。
●21世紀のドアーズ
イアン・アシュベリー:ボーカル
レイ・マンザレク:キーボード
ロビー・クリーガー:ギター
スチュワート・コープランド:ドラムス
コープランドは数回のステージの後バンドを離れ、クリーガーのバンドのドラマー、タイ・デニスが後任となった。
デンズモアは耳鳴りを理由に不参加と発表されていたが、これに対し「最初から誘われていなかった」とバンド名使用差し止めの裁判を起こした。
2005年
裁判によりバンド名が使用禁止となり、「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」と改称する。その後、何度かバンド名の変更があり、「マンザレク・クリーガー」となる。
2013年
2016年
マンザレク追悼慈善コンサートが行われ、クリーガーとデンズモアも参加した。