ジム・モリソン
じむもりそん
本名:ジェームズ・ダグラス・ジム・モリソン(1943年12月8日~1971年7月3日)
1943年12月8日、アメリカ海軍の軍人ジョージ・スティーヴン・モリソン(後に海軍少将)の長男としてメルボルン市(フロリダ州)で生まれる。
父の職業の関係で転居を重ねる。保守的な両親に厳しく育てられるが、ビートニク詩人に憧れていた。
1961年、フロリダ州立大学に入学。
1964年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)映画学科に編入。同級生にフランシス・フォード・コッポラがいた。ロサンゼルス市内の廃ビルに勝手に住み着く。
1965年、同級生のレイ・マンザレクが廃ビルに遊びにくる。この頃はニューヨークへ行って詩人になるつもりだったが、モリソンのポエトリーリーディングを聞いて驚いたマンザレクが引き留め、彼をメインに据えたバンドを組むことを決意。
マンザレクがジョン・デンスモア、ロビー・クリーガーをメンバーとして集め、ドアーズが結成される。モリソンは歌詞を提供するくらいに考えており、自分がボーカルと知ると音楽経験がないのでうろたえた。
ドアーズは地元のナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」等で演奏活動を行う。この頃から酒や薬物に依存し、酩酊していることが多かった。
1966年、ドアーズはエレクトラ・レコードと契約する。
1967年1月、ドアーズはアルバム「ハートに火をつけて」でデビュー。クリーガーのポップ・センスによりコマーシャルな成功を収めつつ、モリソンのカリスマ性でコアなファンも掴んだ。
モリソンは当時のアメリカのセックスシンボルとなり、保守層から叩かれるが挑発的な態度を取り続けた。
「エド・サリヴァン・ショー」に出演した際、「ハートに火をつけて」の歌詞を一部変えて歌えと要求され承知したふりをしたが、本番の生放送でそのまま歌った。エド・サリヴァンは「もう二度と出演はないぞ」と激怒したが、モリソンは「エド・サリヴァン・ショーはもう卒業した」と返した。
1969年、マイアミ市(フロリダ州)のステージでオナニーをして公然わいせつ罪で逮捕され、有罪判決を受ける(ファンの嘆願により、2010年に恩赦)。
裁判は1年半ほど続き、その間に見る影もないほど太ってしまったモリソンは休養を決め、ガールフレンドと共にパリへ渡航した。
1971年7月3日、モリソンはパリのアパートで死亡。埋葬前に検死が行われなかったが、ヘロインの過剰摂取と考えられている。享年27歳。
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