概要
愛用ギターはフェンダー・ムスタングおよびジャガー(レフティ)のカスタマイズ品。
幼い頃から両親の離婚や利き手の強引な矯正など荒れた生い立ちを送っており、その頃から反社会的感情が芽生えた。
1989年、Nirvanaのボーカル・ギターを務め、「Bleach」でデビュー。
ボロボロの服装に無精髭を生やした汚らしくも荒々しいサウンドで曲を歌い上げるグランジスタイルのロックを生み出した。
この頃から自身の社会への怒りを淡々と歌い上げてきた音楽スタイルが次第に万人受けして受け入れられてしまっている事に思い悩むようになる。
1993年、万人受けしてしまった前作への不満を晴らすかのようにさらに激しさを増した「In Utero」をリリース。
しかしこの頃には重度のドラッグ依存症になり完全に精神的に不安定になっていた。
1994年4月、ツアーの最中病院に運ばれ治療を受けるも脱走、(推定)5日シアトルの自宅で、致死量の倍のヘロインを自ら注射した上で、ショットガンの銃口を口に咥えて頭を撃ち抜き、妻コートニー・ラヴへの思いを綴った遺書と共に27年の生涯を終えた。
なお、彼の遺体発見は4月8日であり、ファンにとってはこの日も命日とされ、各地で追悼イベントが行われている。なお、遺体は火葬され、最期を遂げた自宅近くの公園・ヴィレッタパークにある木製ベンチに遺灰が撒かれ、これがカートの墓代わりとなっている。
亡くなって20年以上経っても彼をリスペクトするミュージシャンは世界的に少なくない。