能登国の守護・畠山氏が16世紀前半に築いたとされる。
石動山に築かれた城域は南北2.5キロ、東西1キロ、面積は625haにも上る巨大城郭であった。
七尾城の名の通り七つの尾根を巧みに使った難攻不落の城である。
1577年に上杉謙信の攻撃により落城。
その後前田利家が入るものの、1589年には小丸山に新城が築かれ七尾城は廃城となった
ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
ななおじょう
能登国の守護・畠山氏が16世紀前半に築いたとされる。
石動山に築かれた城域は南北2.5キロ、東西1キロ、面積は625haにも上る巨大城郭であった。
七尾城の名の通り七つの尾根を巧みに使った難攻不落の城である。
1577年に上杉謙信の攻撃により落城。
その後前田利家が入るものの、1589年には小丸山に新城が築かれ七尾城は廃城となった
0/3000
編集可能な部分に問題がある場合について
記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。
報告を送信しました
ピクシブ百科事典では今後の開発の参考にするため、フィードバックを募集しています。あなたが使っていて感じたこと、見つけた問題をお寄せください。
いただいたフィードバックへの返信は行っていません。ご利用の際にお困りの場合は、ヘルプセンターをご覧ください。
個人情報は含めないようにしてください。
送信しました
またお気付きの点がありましたら、お気軽にフィードバックをお寄せください。