この状況にある国家は主に特定の勢力に加担せず、中立の立場をとることになる。
永世中立国はすべての戦争等に関し義務づけられているとされ、条約や同盟などに制限がかかる。
この状態は他国が保障あるいは承認する必要がある。また中立の義務を果たすため基本的に自衛のためのみに使用される軍隊を所持する必要がある。また政府による政治的な活動や債券の購入なども制限される場合がある。
特定の戦争においてのみ中立を宣言することも可能である。ただし、そのためにも条件が複数存在し、それが守られない場合中立は認められないことがある。
戦争における中立国
国家同士での戦争が行われ、ある国家がその戦争に対し中立を宣言した場合、
交戦当事国に直接間接を問わず援助を行わない回避の義務、
交戦国に自国の領域を利用させない防止の義務、
戦争遂行の過程上ある程度の不利益を被っても黙認しなければならない黙認の義務、
が存在する。
これが守られない場合、当事国から攻撃等を与えられても文句は言えなくなる。
非武装中立、または無防備都市宣言
上記に関連して度々話題になる「軍事を放棄することによる中立」の議論(というより批判)だが、当然非武装だった場合は防止の義務を完遂するのは非常に疑わしいため、非武装中立は成り立たないというのが一般的認識。
俗に非武装中立国家といわれるコスタリカだが、実際は警察が「迫撃砲」や「戦闘装甲車」をもち、反共政策として国家でなく与党が反共民兵軍を保持していたり、ドミニカ内戦で介にゅ・・・ごほん、”治安維持の警官”を送り込んだりと、日本以上に武力行使を行っている。
同様に無防備都市宣言についてもよく勘違いされるが、これはあくまで「敵対する紛争当事国による占領のために開放されているもの」(ジュネーブ第59条「無防備地区」)であるため、むしろ以前の味方組織に対する離反宣言に近い。
そして上条2項にて記述される「軍事利用の禁止」だが、あくまで無防備都市宣言をする条件であって占領国が禁止されているわけでもないので、占領後に都市を軍事拠点に作り替えることは何ら問題がない。その場合は無防備地区の権利を失うだけである。(上条7項)
そもそも「軍事活動の支援」というのは昨今の日本でも話題になる通り、民生活動と完全な区別など出来る訳でもないので、食料や一般的機械部品の生産・流通が許されるのかという話にまで派生する。(占領軍に供給しなくとも、占領国へ民生品として供給すれば、その分占領国は自身の国力を軍隊に費やせるので、間接的な支援と解釈される余地があるし、実際にウクライナ戦争ではロシア側はそのように認識している)
別問題として、ジュネーブ追加議定書にて軍人と文民が区別されるが、文民が反抗を意図して武器を携帯した場合は戦闘員と同じ扱いになることは一切問題ないため、無防備都市の内部で防衛国市民と占領国警察で市街戦になる状態も普通に想定される(この問題に対して国際法は完全に中立で、非人道的な扱いがされない限りは殆ど無視される)
こういったこともあり、歴史的にも目まぐるしく動く戦局や民衆の活動など、何かしらを理由に無視されたり、なし崩しで戦場になったりと、宣言の実効性は限りなく低い。
過去の成功例も「防備する価値がなかった=互いに戦闘する理由がない」というレベルの話なので、宣言自体が成り立たないという意見が強い。
これに加え、そもそも”紛争当事者の軍隊が接触している都市の宣言”である以上、侵略が始まる寸前(砲撃・空爆・機甲戦が日常の現代戦でそんな時間がほぼないが)でないと宣言が認めらない、国内法に無防備都市を強制する法律=軍事行動に協力する市民を罰する法がないなど、推進者・反対者ともに実効性が薄いことが強く認識されている。