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二本松少年隊

にほんまつしょうねんたい

幕末の二本松藩において戊辰戦争に出陣した少年兵部隊のことで藩内各地に出陣した62名を指す。 特に、大壇口にて活躍した藩の西洋砲術師範木村銃太郎が率いる門下生20名が有名。
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出陣したのは12歳から17歳の年若い少年達。

戊辰戦争の悲劇のひとつとして知られています。


二本松少年隊の成り立ち編集

二本松少年隊は、出陣を懇願していた13歳から17歳の少年達を緊急に各部隊に配属したため当時は正式な名称ありませんでした。

二本松少年隊の名称が付いたのは、戊辰戦争から50年経った頃です。


何故、年若い少年達が出陣したのか編集

当時、二本松藩兵は西軍との攻防戦を各地で繰り広げており、藩内は兵力不足に見舞われていました。

7月上旬、藩は兵力不足を補うため17歳までの出陣の許可を出だし、上ノ内、本宮に出陣しています。

7月27日に本宮が占拠されると、15歳までの出陣の許可が出され、出陣を懇願していたさらに若い少年達も出陣することになりました。


出陣が許可された年齢と二本松少年隊の年齢の矛盾編集

出陣の許可は15歳までですが、二本松少年隊は13歳から15歳が圧倒的に多い。これは二本松藩独特の制度のためであります。

二本松藩は20歳になると成人として扱われますが、届けを出すことで18歳でも成人として認められる事ができました。

これが独特の制度「入れ年」です。2歳サバを読む事が黙認されていました。

この制度のために出陣の許可が出た年齢よりも幼い少年達が出陣し命を落としました。


最年少は12歳編集

13歳から17歳の少年達は各部隊に配属され出陣していますが、最年少の久保豊三郎はどこの隊にも配属されていません。

彼は出陣できる年ではありませんでしたが、母親に出陣させてほしいと頼みます。ダメだと言っても聞かない息子につい折れてしまった母親は「戦の音を聞けば、怖がって戻ってくるだろう」と下僕を一人付けて送り出しました。

しかし、彼は戻らず同じ木村門下生がいる大壇口に向かい彼らと行動を共にし戦死しています。

彼は二本松少年隊の中だけでなく、戊辰戦争で戦死した人々の中でも最年少になるのではと言う説もあります。

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