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幕末長州藩において、主に下級武士や庶民から有志を募って結成された混成部隊。「奇兵」とは正規兵の反語。
なお西南戦争西郷軍においても同名の部隊が組織されている。

概要

文久3年(1863年)6月、下関戦争で諸外国との軍事力の差を目の当たりにした長州藩は、高杉晋作の案を受け、町人や百姓から広く兵を募る。
正規の藩士からなる撰鋒隊に対し、下級武士や町人百姓を中心とした奇兵隊が組織され、高杉が総督に就任。外国艦隊からの沿岸警備などの任務に当たった。
尚この時奇兵隊の他にも、遊撃隊御盾隊力士隊など様々な部隊が結成されており、長州諸隊と総称される。

8月に一部の奇兵隊士が撰鋒隊の駐屯する教法寺を襲撃する教法寺事件が起きると、その責任を負って高杉は更迭。河上弥市、滝弥太郎両名が2代目総督となり、後に赤根武人が3代目総督、山縣狂介が軍監を務めた。

翌年の第1次長州征伐後、幕府への恭順を図る俗論派とのスパイを疑われ赤根は孤立。さらに翌年の功山寺挙兵で俗論派が排斥されると赤根は京へ逃れ、再び高杉が奇兵隊を掌握する。
第2次長州征伐では高杉晋作、大村益次郎らの指揮の下、奇兵隊をはじめ長州諸隊は各地で活躍し、幕府軍に対し勝利を収めた。
その後の戊辰戦争においても長州藩兵の主力として官軍勝利に貢献した。

明治2年、版籍奉還にともなう藩政改革で長州諸隊は解体され、奇兵隊も消滅。
一部は天皇を警護する御親兵に再編されるがその多くは士分であり、解雇された元隊士たちは不満を募らせ、百姓一揆も加わり各地で暴動が発生した。

関連項目

幕末 諸隊 長州
戊辰戦争
高杉晋作 大村益次郎 山縣有朋 山田顕義

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