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山田顕義

やまだあきよし

山田顕義とは幕末、明治時代に活躍した武士、政治家。松下村塾塾生。初代司法大臣、陸軍中将
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プロフィール編集

1844年10月生まれ、1892年11月死去(享年49歳)

出身地長州藩


人物編集

はじめ山田市之丞(いちのじょう)。松下村塾塾生。初代司法大臣。日本大学の創設者。高杉晋作が病床に自分の後を継ぐ者を尋ねられた際、大村益次郎を挙げその次に山田を挙げた。この時山田は23歳の若者である。西郷隆盛に認められるほど軍事の才能がある。


幕末編集

親戚に藩の財政再建を遂げた村田清風がいる。14歳で松下村塾に入塾。師の吉田松陰が元服した山田に立志の目標を書いた扇を与えている。大村益次郎に軍事を学び軍事的才能を育成。初陣として禁門の変に参戦。第二次長州征伐で幕府の軍艦を小舟による奇襲で破る。戊辰戦争で黒田清隆とともに函館戦争で指揮を執る。


中将から司法大臣へ編集

新政府で兵部大丞になる。佐賀の乱、西南戦争に従軍。内閣制度発足時初代司法大臣に就任。生野銀山視察中に亡くなる。日本大学の創設者でもある


関連タグ編集

松下村塾 長州藩

日本大学


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