プロフィール
名前 | 加藤武子 |
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年齢 | 17歳(1939年) |
誕生日 | 9月28日 |
通称 | 「扶桑海の隼」 |
愛称 | 「フジ」(扶桑海事変時、同じ部隊に加東圭子 がいて「カトウ」被りが発生したため) |
所属 |
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階級 |
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使い魔 | 北海道犬 |
固有魔法 | 『三次元空間把握能力』 |
使用機材 |
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イメージモデル
名前:加藤建夫
撃墜数:18
人物像
扶桑陸軍きっての名指揮官にして戦友の穴拭智子と共に幾多の戦場を駆け抜けてきたエース。ネウロイの欧州侵攻が始まると、義勇部隊の一員として中尉に昇級の後、先遣部隊として激戦地カールスラントに派遣された。綿密な観察と的確な部隊指揮、個人プレーを廃し徹底した編隊空戦で欧州で多大な戦果を挙げて扶桑陸軍精鋭ここにありとして欧州に勇名を轟かせた。
1937年から翌38年にかけて扶桑皇国を揺るがしたネウロイの極東侵攻「扶桑海事変」を終結に導いた「挺身作戦」の立案者でもある。しかし、自身を見くびる将官を殴ったことで上層部からの心証を悪くしたため、同期と比べて昇進が遅い。
智子がスオムスいらん子中隊に送られた原因を作った張本人である。その真意は、個人の技量に頼った戦いに拘り、扶桑海事変当時には独断専行や驕りの傾向が見られた智子の身を深く案じ、僚機を意識した編隊空戦の概念を身につけてもらうためであった。
智子は最初スオムス派遣を知った時、武子が嫉妬で自分を戦果の上げにくい僻地に追いやったと早合点したが、最終的には武子の真意を知り無事和解している。
武子もいらん子中隊による大型ネウロイ撃墜(このタイプは当時カールスラント戦線でもまだ人類による撃墜記録はなく、智子たちが初撃墜)の報を聞いて「あれを1人で撃墜するのは無理。ということは、あなたには本物の仲間が出来たんですね」「自分のことのように嬉しいです」と綴った手紙を智子に送っている。
穏やかな性格で、沈着で部下思いでやや情にもろい。
カメラが趣味で、加東圭子にカメラを教えたのがこの人。ちなみにコンタックス党。