概要
多田満頼は1501年頃に美濃で産まれたとされている。若い日の満頼は弓矢の腕を磨くべく、武者修行の旅として諸国を巡っていた。
1520年頃に甲斐へ立ち寄った際に、武田信虎が満頼が弓の名手であることを見抜き、足軽大将として招き入れたという。
生涯で29回の武功を立て『夜襲において満頼と並ぶ者はいない』と言われているが、確実な記録では1547年の志賀城攻め並びに小田井原の合戦で武功を上げたとされる。また1548年には、晴信から感状を貰っている。
1561年の八幡原の戦いには病気の為参加せず、2年後の1563年に亡くなった。