概要
大百足の神様とは日本一ソフトウェアから発売されているホラーゲーム「夜廻」に登場する巨大なムカデのお化けの通称の1つで、Pixivタグではこれが1番多く使われている。
正式な名称は公表されておらず、ゲーム本編では「おばけむかで」や「ムカデのおばけ」と呼ばれており、ファンの間では大百足(オオムカデ)と呼ばれることが多い。
町の商店街周辺に登場し、その身体は商店街を覆いつくすほど巨大。
商店街の外れにある神社に住み着いており、この神社がムカデを祀っていることから御祭神ではないかと思われる。
実際にムカデは悪い妖怪としてだけでなく、商売繁盛の縁起物とされ信仰の対象として祀られている神社も存在している。詳しくはムカデや大百足の記事を参照のこと。
作中では公衆電話を通して主人公の少女を自身が生み出した領域に誘い込み、襲い掛かってくる。
しかし実は少女に襲い掛かったのは勘違いらしく、実際は商店街に置かれていた盛り塩を他のお化けに崩されたことに怒っており、少女が神社にたどり着くと塩を持たせ盛り塩を元に戻すよう促した。
次作の深夜廻では姿は見せないものの、巨大なお化けに追われていた主人公のハルを公衆電話を鳴らすことで神社まで誘導し救っている。
上記のように他のお化けと違い主人公や町を守るような行動が多く、ファンの間でも数少ない味方側のお化けとして認識されており、ファンの間でも人気が高い。
実際、夜廻シリーズ6周年を記念して行われた『お化け人気投票』ではコトワリさまに次いで第2位を獲得している。
小説版では
小説版夜廻ではゲームと同様に少女の前に現れるが、襲い掛かってこないなど原作より敵意が感じられず寧ろ最初から少女に手を貸してほしいような描写がされており、さらに事が済んだ後に少女をポロがいる林へ道案内するなど明らかに少女に味方するシーンが追加されている。
小説版深夜廻ではゲーム同様姿は見せないが神社は登場。原作と違い、ハルを連れて逃げてきた前作の少女が神社に逃げ込むという展開になっている。
そこで少女が大百足について言及しており、神社が彼女にとっての安全地帯になっていることや、前作での大百足との出会いについて「悪いムカデじゃなかった」「助ける気持ちがあったかはわからないけど、私はそう感じた」とハルに語っている。
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考察
以降、最終ネタバレと考察が記述がされています。 |
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- 何故主人公を助けるのか?
上記のように大百足が神社の御祭神ならば商店街周辺から信仰され崇められていた神様だったと思われる。商店街に置かれた盛り塩から見ても少なくとも商店街に棲む人々との関係は良好だったようで、商店街に悪意のあるお化けが入り込まないようにしていた可能性が高い。
小説版に「神様の性格は祈る人間の考えによって変わる」というセリフがあり、その通りならば大百足は正しく人々に信仰されていたことになる。実際深夜廻では信仰によって歪んでしまった神様が登場している。
また小説版によれば主人公の母や姉はよく神社にお詣りしていたらしく、その縁もあった可能性も十分にある。
それでも深夜廻では見ず知らずのハルを助けるなど明らかに人を救う意思を見せており、人々との繋がりがかなり良好であったことは間違いないと思われる。
- 深夜廻での弱体化ついて
深夜廻では夜廻時代より明らかに弱体化している描写が見られ、小説版でも言及されている。
夜廻時代は凄まじい巨体を誇り、商店街全体を自らの領域にできるほどの力を持っていたが、深夜廻では自身の神社の境内のみしか守ることができず、一瞬登場したムカデも普通サイズより少し大きいぐらいの小ささだった。
原因としては商店街の再開発に伴う立ち退きにより、信仰が失われたことが最も有力だと考えられる。更に神社の本殿も再開発よって取り壊され半壊状態になってしまっており、これでは力が衰えるのも無理はない。
また、町にハルを追いかけたような巨大なお化けが現れたのも町を守っていた大百足の力が衰えたのが原因と考えるファンも多い。
- ラスボスとの関係
夜廻のラスボスとは明らかな敵対関係であると考えるのがファンの間では主流となっている。
商店街の盛り塩を壊したのはラスボスの配下であり、何らかの意思を持って大百足の力を弱めようとしていることは間違いない。
更に小説版によると姉の持っていたお守りは大百足の神社のお守りらしく、これにはお化けを近寄らせない効果があり、ラスボスもこれを持っていたため姉に直接手を出すことができなかった。
またラスボスの神社の周辺にはこのお守りに反応し周囲のお化けを封じる灯籠が幾つも建てられており、大百足の力を使いラスボスを封印しているのでは?と考えるファンも存在する。
まあ、人を守ろうとしている神様と人を生贄に攫う神様とでは仲違いを起こして当然と考えるのが普通であろう。