プロフィール
概要
幼少期から新日本プロレスのファン。
中学か高校の時から新日の試合で心無いヤジを飛ばした客を叱る観客として新日の営業にも認知されていた程。
高等学校時代にレスリングで国体・インターハイともにベスト16の実績を残し、卒業後親の反対を押し切って上京、アニマル浜口ジムに入門。
1992年2月に新日本プロレスに入門。同年6月25日の福島市体育館にて山本広吉(現・天山広吉)戦でデビュー。
デビュー間もない頃から伸びのあるドロップキックとキレのあるジャーマン・スープレックスと十八番である顔面ウォッシュ、そして先輩レスラーに臆することなくケンカ腰で向かっていく姿勢を見せ、徐々に注目を集める。
1997年には第5代のジュニア7冠を獲得し、同時にIWGPジュニア初戴冠。
2000年に海外遠征をし、カナダ・カルガリーで肉体改造後、オールスタープロ認定インターコンチネンタル王座(ヘビー級タイトル)を獲得。
2001年の帰国直後はヘビー級に本格的に転向。同年すぐに新日本を離脱し、橋本真也、高岩竜一と共にZERO-ONEを旗揚げ。
2005年にはZERO1-MAX(後のプロレスリングZERO1)を発足、代表となる。
2008年、ZERO1-MAXの運営会社であるファースト・オン・ステージの社長に就任。(2016年に新体制に移行と同時に退任)
2015年、減量してジュニアヘビー級で活動開始。
高岩竜一と組み菅原拓也&“brother”YASSHIを下しNWAインターナショナルライトタッグ王座となり、10月には田中稔を下しインターナショナルジュニアヘビー級王座に就く。
2021年4月、全日本プロレスチャンピオンカーニバルに初出場するも、4月28日の諏訪魔戦で負傷(右上腕骨近位端骨折と右肩鎖関節脱臼)し、途中欠場。
6月、ZERO1-MAXと並行してガンバレ☆プロレスへのレギュラー参戦を発表するも9月12日のガンバレ☆プロレス板橋大会の岩崎孝樹戦で負傷(左前腕両骨骨折)し長期欠場。
同年10月25日には、ガンバレ☆プロレス現場責任者に就任。
2022年4月10日、両国国技館で行われた「ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会」興行において杉浦貴との試合中、大谷は杉浦の投げっ放しジャーマンスープレックスでコーナーに叩きつけられた後、そのまま体が動かせない状態となり救急搬送。
搬送後に気道確保を目的とするためICUに収容され、同月12日に頚髄損傷と診断。13日に悪化予防の手術を受け、14日に次の治療ステップに移るため転院した。
28日、ZERO1は大谷を支援する募金活動「何度でも立ち上がれ! 大谷晋二郎応援募金」の開始を発表。
口癖は「プロレスの教科書○○ページに〜〜と書いてある」。
主な得意技
- コブラホールド
- キングコブラホールド
- ドラゴン・スープレックス・ホールド
2002年に試合開始後3秒でこの技を放ちそのままフォール勝ちしてプロレス史上に残る最短試合記録を残している。
- ジャーマン・スープレックス
- ジャンピングパワーボム
- スワンダイブ式の数々の技
エプロンサイドからトップロープに飛び乗りロープの反動をつけてリング内の相手に向かって仕掛ける飛び技。大谷が元祖で、『ワールドプロレスリング』実況の辻義就による命名。
- 顔面ウォッシュ
- 雪崩式フランケンシュタイナー
元祖は獣神サンダー・ライガー。
- 稲妻レッグラリアット
元祖は木村健吾。