概要
ここで採掘できる軽石凝灰岩は大谷石と呼ばれ、柔らかく加工がしやすいことから外壁や土蔵などの建材に多用されてきた。
宇都宮近辺では縄文時代から炉石として使用されていたようで、近代でも駅のホームや石垣、階段などに使用されてきた。
広く知られるようになったのは帝国ホテルの旧本館(現在は博物館明治村に玄関部が移築保存されている)に用いられてからとされている。
第二次世界大戦時は採石場の広大な地下空間が陸軍糧秣廠・被服廠の秘密倉庫として使用されていた。大戦末期には四式戦闘機の製造工場として使用されたといわれている。
また地下採石場坑内の年平均気温は8℃前後でとても低いことから、1969年頃から政府米(古々米)の保管庫として使用されてきた。
1979年に大谷資料館として地下採石場が一般公開される。
現在でもコンサートや映画の撮影と様々な目的で活用されている。
大谷石の需要が高まっていたころには軽便鉄道による貨物輸送も行われ、末期は東武鉄道が東武大谷線として運行していたが高度経済成長期にトラック輸送が発達したことから1964年に廃止されている。現在宇都宮ライトレールがほぼ同じルートで大谷への延伸を計画している。