ここでは主に原作の天城雪彦について記載する。
ドラマ版ブラックペアン
概要
天城雪彦とは、海堂尊著書、『ブレイズメス1990』、『スリジエセンター1991』『プラチナハーケン1980』(発売順)に登場する人物である。
登場作品
原作
ドラマ版
人物
原作
術式『ダイレクトアナストモーシス(直接吻合法)』を世界で唯一可能とする天才心臓外科医。
モナコ公国のモンテカルロ・ハートセンターで外科部長を務めていた。
患者の選定において拝金主義の思想を持っており、患者にグラン・カジノのルーレットで全財産の半分を賭けさせ(天城はこれを"シャンス・サンプル"と言う)、勝ったら手術の依頼を受ける。これで患者の運の良さを見極める。
なお彼はメスを入れた患者を一人も死なせておらず術後も良好であること、またカジノで勝った分はモナコの福祉へ回していることなどから、『モンテカルロのエトワール』という称号をモナコの王室から賜っている。
ある日、東城大医学部に天城を招聘せよ、という佐伯の命を受けモナコへ飛んだ世良雅志の説得を受け日本へ降り立つ。
日本では到底受け入れられない思想の持ち主だが、佐伯の命によりスリジエハートセンターの設立に向けて世良を引き連れ奔走する。
経済を軸として日本の医療を考え、理路整然とした物言いで周囲を圧倒する。
通り名が複数あり『モンテカルロのエトワール』をはじめ、
『ネージュ・ノワール』(黒い雪)
『ドタキャン天城』
『聖なる守銭奴(セイント・スクルージ)』
『わがまま外科医(わがままサージョン)』
などと呼ばれている。
容姿に関しては長身で細身のスーツ姿、黒服の貴族、それに加えて藤原婦長にはクロスケ、などと呼ばれている。
白衣も特徴的であり、刊行版では黒い白衣に金のエトワールエンブレムの刺繍、単行本では黒い白衣に銀のエトワールエンブレムの刺繍、文庫版及び電子版には白衣(色の言及がない)に銀のエトワールエンブレムの刺繍がされている。これらの白衣は一貫してブレザー型との記載がある。
人をチェスの駒に例えることがあり、世良をポーン、垣谷をルーク、黒崎をビショップ、佐伯をキング、高階をクイーンと見ている。
天城自身はアメジストでできたナイトを自分にあてがっており、速水のことはルビー(のように赤い黒曜石)のナイトとしている。(速水はのちのジェネラル・ルージュの凱旋の主人公である)
作中後半、世良は海より青いトルマリン・ブルーのポーンに例えられることとなる。
かの昔、賭け金の代わりとしてフルカスタムのハーレーを特注しており、マリツィア号という名をつけて乗っている。それに加えて車も持っており、ヴェルデ・モトという名をつけている。どちらもモナコから桜宮に飛ぶ時にその場で日本への廻送を指示。
ヴェルデ・モトに関しては、新入医局員の駒井に「アマガエルそっくりで、梅雨空に似合う色」と言われ大層怒るシーンがあることから、乗り物にはとても愛着がある模様。
マリツィア号は1991の段階で世良に譲渡されており、今なお現役でいる。(参照: コロナシリーズ三部作より)
ちなみに、マリツィアという名の天城の知り合いが存在する。(マリツィア・ド・セバスティアン・シロサキ・クルーピア。モナコ公国を建国したマリツィアの直系であり、分家第二十五代当主。公位継承権第七位を名乗る)
ドラマ版
演者: 二宮和也
人も金をももてあそぶ悪魔、"ディアブル"と呼ばれている世界的天才外科医。
6年前に東城大から去った渡海と瓜二つの出で立ちをしており、渡海よりも金の亡者とされている。
ちなみに、渡海と瓜二つという設定は原作者からの提案。
(ここで記述する渡海はドラマ版ブラックペアンとする)
オーストラリア・ゴールドコーストの病院に長年勤め、心臓冠動脈バイパス術のダイレクト・アナストモーシスという手技ができる世界唯一の医師。
手術を受けるには全財産の半分を賭け、"シャンス・サンプル"で勝たなければならない。
敵対する医師をも魅了する天城が物語にもたらすのは吉か凶か?
モデルとなった人物
須磨久善 氏
(※電子版ブレイズメス1990あとがき参照)
心臓外科医であり、専門は心臓血管外科及び循環器内科。
1986年に世界初の胃大網動脈をグラフトに使ったバイパス手術を成功。1996年には日本初のバチスタ手術を行った。
現在はハートセンターの設立などに注力している。
同作家のデビュー作、チーム・バチスタの栄光(映画・ドラマ)の医事監修を務めていた。
また、医龍-Team Medical Dragon-(ドラマ)の医事監修も4期まで務めている。
注意点
原作版において
容姿に関しては刊行時に挿絵で描かれているものの、現在一般的に出回っている単行本及び文庫本には挿絵は入っていない。そのため、pixivのイラストを始めSNS等においてはクリエイター毎に異なる点に留意すること。
関連タグ
経歴
※下記は重大なネタバレを含みます※
原作
1973 : チリ大学医学部卒
1975 : 来日。真行寺教授の教室で研修(総合外科)
1984(?) : モンテカルロハートセンター外科部長就任
1984/07 : 第三十四回国際外科学会(オランダ)にて渡海と邂逅
1990/04 : 東城大医学部招聘
1990/07/12: 東京国際会議場にて公開手術
1991/04/28: 桜宮にて公開手術
1991/07/10: 桜宮にて手術
1991/10/24: 東京国際会議場にて公開手術
1991/11/1 : 日本を離れモンテカルロに帰還
1992/04 : 死亡