生年不詳~天喜5年(1057)
概要
仏師康尚の弟子で、11世紀の京都を中心に活躍した仏師、和様彫刻の完成者とされる。
藤原道長が創建した法成寺や火災で焼失した興福寺の復興など、朝廷や藤原氏のための造仏を数多く行い、仏師として初めて法橋に叙された。
彼の弟子たちは後に円派、院派、慶派といった分派を作り、活躍していく。
作風
天平彫刻に学び、瞑想的でかつ円満な面相、柔らかな体躯、薄く流れるような衣が醸し出す穏和で典雅な様式が特徴。
当時の貴族たちからは「仏の本様」「尊容満月のごとし」と絶賛され、彼が作り上げた様式は「定朝様」と呼ばれ、その後一世紀以上にわたって仏像様式の主流となった。
作品
上記のとおり多くの造仏を行っているが、現存する確実な作品は、天喜元年(1053)の平等院鳳凰堂の本尊、阿弥陀如来坐像の一体のみである。