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恩田幾三

おんだいくぞう

恩田幾三とは横溝正史の長編推理小説『悪魔の手毬唄』の登場人物である。
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概要編集

1932年(昭和7年)11月25日に鬼首村で発生した、青池源治郎殺害事件の最有力容疑者。当時35,6歳とみられ、金縁眼鏡と口ひげを生やした好男子だった。


かつて鬼首村に輸出用のクリスマスのモールづくりの内職を持ちかけ、仕事の仲介と工作機械の売り込みを行うも、村の温泉宿「亀の湯」の主人・青池源治郎に詐欺師の疑いをかけられる。


恩田を問い詰めるべく滞在先であった村の庄屋の末裔・多々羅放庵家の離れに乗り込んだ源治郎だったが、数時間後、夫の帰りが遅いのを心配した妻・青池リカが様子を見に行ったところ、現場には撲殺され囲炉裏で顔を焼かれた源治郎の遺体のみが残され、恩田は逃亡、以後消息不明となった


彼が周旋していた内職事業も破綻し、鬼首村では20年以上経った現在でも、「詐欺師で人殺し」として村民から忌み嫌われている。


村での滞在中に身の回りの世話をしていた別所春江と男女の関係になり、後に娘・千恵子が生まれた。彼女からは「悪い人には見えなかった」と評されている。事実、世界恐慌のあおりを受けて事業が頓挫するまでの仕事は真面目であり、彼が最初から詐欺行為を働くつもりだったのか、それとも事業の失敗から逃げたために結果として詐欺師扱いされることになったのかの判断は分かれていた。


満州へ渡って事業を始める計画を進めていたらしく、事件後は海外へ逃亡したのではないかと推測されている。












※これより先は「事件の前日譚」に関するネタバレが含まれます。作品未読の方はご注意下さい。












その正体編集

「き、金田一先生! あんたどこでこがいなもんを手に入れておいでんさった? こら、恩田幾三の写真じゃないか」

(中略)

「はあ、ただし恩田幾三の写真としてではなく、昭和初期における神戸の人気活弁士、青柳史郎の写真として保存されていたんです」



恩田の正体は、かつて神戸で人気を博した活弁士「青柳史郎」、すなわち殺害された「亀の湯」の主人・青池源治郎本人であった


鬼首村の温泉宿「亀の湯」の次男として生まれた源治郎だったが、当時の村では農家が権力者とされ、それ以外の家業は地位の低い者として扱われていた。無口で目立たない少年時代を過ごした彼はしかし、小学校卒業後に神戸へ出奔した後、活弁士「青柳史郎」として大成功を収めた。妻・リカと結婚し、長男・歌名雄が生まれたのもこの時期である。


しかし、昭和6年にトーキー映画が登場したことで多くの活弁士が失職し、源治郎も転業を余儀なくされた。モール製造の仲介業という職を手にした彼は、その売り込み先として故郷の鬼首村を選ぶ。しかし、村内で軽んじられていた過去を考え、本名の青池源治郎ではなく、「恩田幾三」の偽名で帰郷する。すでに人気活弁士としての貫録と物腰を備えていたことに加え、金縁眼鏡と口ひげを生やすことで実年齢より一回り年輩に見せかけた彼を、かつてのさえない「亀の湯」の次男坊・源治郎と見抜く者はなく、事業は順調に進んでいった。


その中で、彼は滞在時の世話係であった別所春江だけでなく、ぶどう栽培に成功した村の最有力者である仁礼家の末娘・咲枝と、事業の売り込み先であった由良家の主人の妻・敦子を誘惑し、彼女らと肉体関係を結ぶ。それは、彼自身が好色家であっただけでなく、かつて自分を下に見てきた村の権力者の妻女と男女関係を持つことで、屈折した復讐心を満たそうとしたことも原因であった。一方で、春江に対しては本物の愛情を抱き、計画中の満州への移住の際には彼女も連れていくことを約束する。さらにその一方、彼は青池源治郎として妻子とともに帰郷し、「亀の湯」を継いだ。


しばらくはうまく立ち回りながら源治郎と「恩田」の二重生活をこなしていたが、世界恐慌のあおりを受けモール製造事業が頓挫したことで事態は急変する。村人から詐欺師としての疑いをかけられ始めた「恩田」は、かねてからの計画であった満州への高飛びを決行するべく準備を急ぐが、とある人物によって殺害され、その顔を囲炉裏で焼かれる


詐欺師・殺人犯の容疑をかけられ指名手配された恩田幾三が、警察の必死の捜索にもかかわらず行方知れずになったのは、被害者・青池源治郎として既に死亡していたからであった。


そして事件からほぼ1年後の1933年に、仁礼咲枝との間には文子(戸籍上は叔父・嘉平の娘)が、由良敦子との間には泰子(戸籍上は敦子の夫・卯太郎の娘)が、別所春江との間に千恵子が、そして妻・リカとの間に里子が、それぞれ生まれている。すなわち、後に同級生となる彼女ら4人、そして里子の兄である歌名雄は、源治郎=恩田を同一の父親に持つ、異母兄妹だったのである













※これより先は「事件本編」に関するネタバレが含まれます。作品未読の方はご注意下さい。












二つの殺人事件の真相と、その結末編集

恩田幾三こと青池源治郎を殺害した犯人は、彼の妻・青池リカであった


恩田の滞在先であった多々羅家の主であり、身の回りの世話をしながら話し相手となっていた放庵から事の顛末を聞いた彼女は、夫が正妻である自分と息子を捨てて愛人とともに海外へ逃げようとしていたことを知って逆上し、彼を撲殺した。


犯行は発作的に行われた無計画なものだったが、放庵の協力もあり、事件を迷宮入りさせることに成功する(「事件直前に源治郎が恩田の詐欺を暴くべく家に乗り込んだ」という証言は、彼女らの作り話であった)。しかし、それから23年経過した1955年、夫が残した問題が再びリカを悩ませることになる。


それは、1933年のほぼ同時期に生まれた、源治郎の4人の娘たちであった。美青年であった源治郎の血を受け継いだ彼女らは、タイプは異なれどいずれも評判の美人として成長した。しかし、夫の不倫によって生まれた文子、泰子、千恵子らが幸福な人生を謳歌しているにもかかわらず、正妻であるはずの自分の娘・里子が生まれながらの赤痣をコンプレックスにして人目を避けながら不遇な日々を過ごしているという現実が、精神的鬱屈としてリカを苦しめた。特に、国民的スター「大空ゆかり」として一世を風靡する千恵子は、かつて三味線奏者として芸能界に身を置いていた彼女にとって、苛立ちと嫉妬心をより一層かきたてる存在であった。


これに追い打ちをかけたのが、息子・歌名雄に持ち込まれた縁談である。前述の通り、歌名雄とその結婚相手候補である文子および泰子は、源治郎=恩田を父に持つ異母兄妹であり、彼らの結婚は到底許されるものではなかった。しかし、彼らを止めるにはその恐るべき事実とかつてリカ自身が犯した罪をも告白しなければならない。いよいよ進退窮まった彼女は、遂に文子、泰子、千恵子らの殺害を決意する


手始めに、源治郎殺害事件の真相から彼の残した子供たちの秘密までを詳しく知る放庵を殺害し、死体を運び出して行方不明に見せかけた。さらに彼が以前から執筆していた鬼首村に伝わる手毬唄の研究資料を元に、その歌詞と標的とする三人の娘を結びつけた見立て殺人を実行に移す。それは、同時期に村を訪れていた名探偵・金田一耕助への挑戦でもあった(峠道で金田一とすれ違った放庵の元妻・栗林りんも、彼女の変装した姿である)。


計画通り、泰子、文子の殺害に成功したリカであったが、これに娘である里子が気づいた。彼女は、上述の通り、母が罪を犯した理由が、自分自身が容姿をコンプレックスに人前に出ようとしなかったことが原因であると察し、その考えを改めさせるために自ら積極的に素顔をさらすようになる。さらに里子は、千恵子の元に届いた手紙が、母が彼女をおびき出すために用意したものであると見抜き、彼女の代わりに待ち合わせ場所へ現れた。リカはそれに気づかぬまま、自分の娘を手にかけてしまうことになる。


その後、春江・千恵子親子が村を出る(実際は金田一と磯川警部が犯人をおびき出すためにそう伝えるよう指示した)ことを知ったリカは、その前夜に彼女らの住居である「ゆかり御殿」に放火する(屋敷は全焼したが別所一家は避難し、無事生存)。最期は逃走中に土手から転落し、溜め池の泥に頭から突っ込んでそのまま窒息死した(その後の検死で、事前に大量の農薬を飲んでいたことが明らかになる)。


――鬼首村の二つの殺人事件はこうして終わりを告げた。天涯孤独の身となった歌名雄は、唯一残った異母妹である千恵子の叱咤激励を受け、上京を決意する。そして金田一は帰京の間際に、磯川警部がリカに対して隠していた秘密を言い当て、彼を驚愕させるのであった。



関連タグ編集

小説 悪魔の手毬唄 金田一耕助 横溝正史

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