概要
1943年5月に就役後、11月のラバウル空襲で初陣を飾る。
その後は1944年のアメリカ軍の反攻作戦に従事し、フィリピン海、レイテ沖両海戦にも参加した。
1945年2月の硫黄島攻略戦から、オーバーホールに入った「レキシントン」に代わってマーク・ミッチャー中将の乗艦となり、アメリカ空母機動部隊の総旗艦となった。
その後は沖縄攻略にも参加したが、5月11日に行われた日本海軍の「菊水六号作戦」で特攻機2機の直撃を受けた。折悪しく攻撃隊の発艦準備中であったため、艦載機の誘爆と航空機用ガソリンに誘爆して大破した。戦死傷・行方不明者は600人以上に及び、特攻攻撃によって受けた1隻あたりの死傷者数としては最大のものとなった。なおミッチャーはその後旗艦を「エンタープライズ」に移すも3日後に特攻攻撃により損傷し、再度旗艦を「ハンコック」に移すことを余儀なくされた。
その後米本土に帰還したバンカー・ヒルは修理中に終戦を迎え、その後は復員輸送に従事した後は予備役となったが、現役復帰やジェット機運用の改装を受けることなく1966年に退役となり、1973年に解体された。
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フランクリン:エセックス級8番艦。1945年3月に特攻攻撃で大破した後は、現役復帰やジェット機運用改装を受けることなく不遇の余生を過ごすことになった。