篳篥とは、雅楽や神道の祭礼、神事などで用いられる日本の管楽器である。
概要
笙、龍笛ともに雅楽では三管、あるいは三器と呼ばれる3種類の管楽器のひとつである。
音域は狭いもののよく通る力強い音色で、演奏の主軸となる。
雅楽では、笙が天界を、龍笛が天と地を往来する龍を表すのに対し、篳篥は(地上の)人の声を表すとされる。
構造は、漆塗りの「首」と呼ばれる竹管に、葦で作られた2枚のリードを収めた「舌(蘆舌)」を差し込む構造で、構成や原理はオーボエに似ている。
先に述べた三管の中ではやや格が落ちるとされる事があり、格がモノを言う貴族社会では特に位が高い人物の間で篳篥を嗜む者は比較的少なかったそうである。
清少納言は、笙や龍笛を高く評価した一方で、良く通る篳篥の音、特に不得手な者が演奏するものは大変疎ましかったと自著の中で述べている…というのは有名であるが、その後に
- (前略)臨時の祭の日 まだ御前には出でで ものの後に横笛をいみじう吹きたてたる あなおもしろ と聞くほどに なからばかりより うち添へて吹きのぼりたるこそ ただいみじう うるはし髪持たらむ人も 皆立ちあがりぬべきここちすれ やうやう琴笛にあはせて歩み出でたる いみじうをかし (出典:枕草子より『笛は横笛』)
- 臨時の祭礼の日に、まだ(奏者たちが天皇陛下の)御前に進み出る前ではあるが物陰で横笛を吹いているのが聞こえたので「ああ良いものだ」と聴いていると、途中でそれに合わせて(篳篥の)演奏が始まったが、これが見事な(長い)髪の人でも髪が逆立つのではないかと思えるほど素晴らしく、琴や笛(他の奏者)とともにも進み出たときは大変感動した。(意訳)
と記している。
今でも奇跡的に見事な演奏を「毛が逆立つ」と評されることがあるが、この頃から使われているのは興味深いところである。
滑らかな演奏には、息の吹き方、リード(蘆舌)の咥え方などが重要になるが、この技法(奏法)を塩梅(エンバイ)と呼び、現在でも「具合」や「加減」といった意味で用いられる「塩梅(アンバイ)」の語源になったという説がある。