概要
『逃げ上手の若君』の登場する保科党の武士。
信濃国国司・清原信濃守の圧政に耐えかねて反乱を起こした保科党。
もとより勝ち目のない挙兵であったが、保科党の将兵は冷静な門番ひとりを除いて殺気立っており、死を恐れない姿勢を見せる。
この無益な挙兵を止めるべく北条時行は郎党の弧次郎、風間玄蕃、吹雪をつれ、「援軍は来ない」から「ただちに兵を引く」ように説得する。
ところが、この門番も冷静に見えただけで実はそうではなく
「死ぬぞ!臓物ぶちまけて笑顔で死ぬぞ!」と口走り
「私は首だけの状態で敵の尻から侵入し」
「内臓を全て貪り食ってから胸から飛び出して笑顔で死にます」
という猟奇的なヤバい奴だった。
こいつのヤバさは戦場でも変わらず、戦場で握り飯を味方から差し出されたときにも
「戦場で生肉をお腹いっぱい食べたから」
と見事なまでのサイコパスっプリを見せつけていた。
それから数年たったのち、北畠顕家の軍勢に馳せ参じた時行たち一行はそこで顕家に従う武将・結城宗広に引き合わされ、宗広から
「結城宗広です」
「老若男女、一切合切ぶち殺します」と聞かされる。
この発言に、かつて保科党のひとりにデジャブーを感じた時行たちに、宗広は
「我が末子三十郎では?」と明かした。
親光、顕朝を含む他の子たちが真面目な性格であるのに対し、三十郎の父・宗広は
「私たちは人殺しが大好きです」
「常に生首を見ていないと治まらないのです」
と涼しいと鈴顔で発言。
この宗広の趣味につきあっていたのは三十郎だけだったが、いつしか
「父上のところで無差別に人を殺すのには飽きました」
「どうせなら正義の殺しがしたいです」
と言い出奔、信濃国の土豪、保科党に加わり、前述のとおり清原信濃守に対する反乱にも加わっていた。この事実を時行から知らされた宗広は
「もっと親子で殺したかった」と落涙、
その姿を見た時行たちは呆れて
「あの人まともなほうだったんだ」とつぶやいた。
史実?
結城宗広の三男・桑山親治がモデルと思われるが、
尾張国海東郡桑山を領したことしか伝わっておらず、本当にモデルかどうかも不明である。