曖昧さ回避
男性声優については→緒方賢一
概要
1975年1月26日生まれ、山口県出身。
1994年シュートボクシングでプロデビュー。
1997年デニー・ビルに鼻を折られ、シティサックに眼下底骨折を負わされ、それが治りきらない内に復帰し撃たれ弱くなっているように見えていたが、実際は避けきれていない状態だった。なので1999年頃まで暫く不振に陥ったため、1年くらい休養。
1998年6月シュートボクシング日本ファルコン級王座決定戦を勝利し、シュートボクシング日本ファルコン級王者を獲得。
2002年アンディ・サワーに4度ダウンを奪われ判定負け、2003年シェイン・チャップマンに4度ダウンを奪われ判定負け。
2004年K-1ワールドマックス日本代表決定トーナメントで武田幸三との対戦では、吉鷹弘の得意技であったアッパーでダウンを奪っている。
2006年シュートボクシングのトーナメントS-cup2006の決勝で、アンディ・サワーからダウンを奪い判定勝ち。吉鷹弘以来二人目の日本人S-cup優勝者となる。
吉鷹弘が引退後は魂の伝承者と呼ばれ、吉鷹弘の入場曲(ファイナルカウントダウン)も使っていた。
90年代の半ば頃に、シュートボクシングのシーザー武士会長の母親が末期がんで亡くなる少し前の時に、病室に呼ばれ「人生は死ぬまでの心構えをするもの、男は男らしく女は女らしく精一杯生きていきなさい」と言ってもらえた事が、ずっと心に刻み込まれた出来事としてインタビューで答えている。
緒形選手自身の母親も病気で大変だった時期でもあり、治療代を仕送りするために築地市場で15時間労働の後にシュートボクシングの5時間練習という、メチャクチャな生活をしていた頃でもあった。
小学生の時に仲の良かった親戚の兄が踏切り事故で他界し、人間はいつ死ぬか分からない自分の好きな事だけをやろうと決意したそう。
シュートボクシングを始める時に田舎からの見送りで母親や友達が泣きながら送り出してくれたそう、そんな思いで送ってもらったのに試合で辛くても苦しくても結果を出すまでは辞めるわけにはいかなかったそう。