「前払いで10万ユーロ貰おうか」
「仕立て屋は『今まで』培ってきた技術で」
「客の『これから』を演出する」
「客と一対一、一着に一度きりの真剣勝負の為に」
「死ぬまで腕を磨き続けるんだ」
「それを敢えてと言うなら仕事に敬意を払って貰おう」
大河原遁の漫画作品『王様の仕立て屋』の登場人物。
概要ですか。よござんす、やってみましょう。
ナポリの泥棒市において「(仕立ての)ミケランジェロ」とすら称された伝説の仕立て屋マリオ・サントリヨの唯一の弟子で超絶技能を持つスーツ職人。
高額の代金と引き替えに、数多の服飾関係の難題を解決する、いわば服飾界のブラックジャック。
性格は偏屈だが、その腕は、もはや神の域。年齢は連載開始時点で26歳。
なお専門知識を活かしたトラブルシューターの側面から山岡士郎に例える人もいたりするが、少なくとも彼よりかは様々な鉄火場を潜っている事から精神的に大人でより強い達観を持っており、しかも彼のような鬱屈した家庭事情は持っていない(むしろ『王様の仕立て屋』において山岡氏に近い存在なのはヒマワリさんとこの社長である)。
マリオ親方の教えを受けた人間には、マリオの実の息子リッカルドや、あるいは悠と同時期に短期間だけ基礎の教えを受けたペッツオーリがいるが、この両者はマリオから正規の教えをきちんと受けたと認められたわけではない。(リッカルドはそのスーダラぶりからナポリそのものを敵に回した破門者、ペッツオーリはあくまでも一時的にマリオ一門の技術の基礎だけを教わった客分)
高額の代金を請求しているのは後述する師匠の借金、およそ一億(引き継いだ借金の内、三割は兄弟子の物)を返すため。(このため、マリオ存命中、唯一彼に意見が出来たマリオの同門の兄弟子であるジャンニ・ビアッジオ親方はマリオに対して「自分の技術の粋を受け継がせた悠を可愛いと思うのならば、あえて破門して日の当たる場所に出してやれ」と幾度となく忠告していたがマリオは悠がとても出来の良い弟子であったがゆえにそれを拒んでいた)
しかし、それも特急と言われる超高速の仕事のみの話であり、普通の仕事(待つ時間が数ヶ月単位)ならば値段はそれなりに安い。
マリオの教えを受けた人物の中で、ただ一人、正式に弟子と認められているのに有名にならないのは『本人が未熟を理由に取材を受けたがらない』(基本的に本作で語られるナポリの仕立て屋業界は「一桁の齢から修業を始め、四十五十でやっと鼻たれ小僧程度の仕事ができる。八十九十を超えてやっとこ人一人が食える程度の仕事ができ、まっとうに年老いて老衰で死ぬその間際の数秒だけが一人前として家族を養える程度の稼ぎを取れると言える時間」と言われるほどの「気が遠くなるくらいの修行の年月による労に対して、まったく報われる事のない」ものであると表現されている)のと『やむを得ぬとはいえ「特急仕事」などという外道仕事に手を出した自分が前に出てしまい、これが仕立てのデフォルトと勘違いされてしまうと、他のサルトリア(仕立て屋)の負担となりかねず、本来は長時間(時に年単位)をかけて完成されるべきナポリ仕立ての伝統に傷をつけてしまうおそれがある』事と『イタリアの裏社会と因縁ができているから』である。
来歴たぁ野暮でござんすねぇ。
実家は浅草の自転車屋で三人兄弟の末っ子(実家は長男が継いでいる)。足袋職人のお辰さんから針仕事の基礎を教わり、仕立て職人になることを勧められる(集中力は図抜けており、自身の失禁に気づかないほどであった)。
高校卒業を待って訪伊。伝説の職人、マリオ・サントリヨに半ば強引に弟子入りし、20代半ばにしてその技術ほぼ全てを引き継ぐという鬼才ぶりを発揮。スーツ一式をすべて手掛ける方針だったマリオに倣い、スーツ3点セットはもちろんシャツやパンツ、外套から小道具に至るまで一人で構築可能していた。
しかしマリオ・サントリヨは仕立て職人というよりも「良い仕事さえ出来れば、あとはどうなったって知らない」という芸術家肌の人間で、そのためなら赤字を出す事も当たり前、どれだけの借金があっても頓着もしないという、いわば経営感覚皆無の破綻者であった。(前述の実の息子リッカルドとの確執も、そもそもの原因はココにあった)
悠がマリオに弟子入りした時点で、マリオのサルトの経営は「火の車」という表現すら生易しい状態にあったが、悠が会計として間に入り交渉した事でなんとか持ち直しかける。しかし、その矢先にマリオは急死。当時、マリオ師が自らの生活費・治療費としてナポリカモッラ(いわゆる現地の武闘派系反社会的勢力)から負っていた(当時の日本円で)約1億円の借金を啖呵を切って請け負ってしまう。(さらに借金を上積みしてマリオの墓まで建てた)
この借金に進退窮まった悠はマリオの技術を安売りするも同然の「特急仕事」を生み出し、これに対処。以来、たった一人で奮闘を続けていた。
のちにマリオの急死と悠の窮状を知ったペッツオーリは慌てて「マリオ師匠の借金は、いわば一門の借金。兄弟子一人にこれを背負わせるわけにはいかない」と借金の肩代わりを申し出るも、悠は「客分のペッツオーリ先生に背負わせるわけにはいかない」と、これを固辞。しかしペッツオーリもマリオの遺産をただ一人受け継ぐ悠を取り巻く惨状を見過ごせず(悠が借金に倒れればマリオの技術も永遠に失われる事となり、ペッツオーリはこれをイタリア服飾界の損失と考えた)引くわけにはいかないと、その借金の保証人となり、かくて悠への借金の取り立てや行動の制限は緩和される事となった。そして、本編の物語へと繋がる。
本編において靴職人見習のマルコに居候として転がり込まれ、ジラソーレ社と因縁を持つようになり、リヴァル社の御曹司(次男)であるセルジュを弟子に取る羽目になる。
後にナポリ随一の名士であるベリーニ伯爵にその腕前を酷評されてしまう。
いわく「客は君の服に金を払っているのではない。やむにやまれぬ『時間』に金を払っているのだ」と指摘された上で悠の腕は事実上「マリオに迫った程度の劣化コピー(いわばマリオの技術をプログラムとして入力されたAIミシンと同じ)に過ぎず、君自身の技術や服ではない」(仕立て屋ならば師匠から学んだ技術を元に師匠ですら成し得なかった自らの個性やスタイルを求めねばならぬはずなのに、悠にはそれが出来ていない)と仕立て屋としての心得違いまで言及され、ナポリ仕立て職人としての危機に立たされる。
しかし、マルコやセルジュやラウラ、さらにはジャンニ親方にジラソーレ社から喝檄を入れられるとともにバックアップを受けて、ベリーニ伯爵から「認められるための注文(個性の試練)」を受ける資格をもぎ取り、これをクリアしてマリオの技術をさらに前に進めうる正式な後継者として認められる。
ただ伯爵からは、腕があるのに裏社会に協力させられていてたとえ借金を全て返したとしてもそれが続いてしまう恐れがあること、さらにはそのためにマルコやセルジュら自身に繋がりがある人間が裏社会の毒牙にかかる可能性すらも危惧・指摘(織部は裏社会にとって良い金づる)されたため、借金および裏社会との手切れ金を伯爵に肩代わりして貰う代わりに、ナポリの一等地に店を構えた。(第1部最終回および第2部以降)
しかし、年若いゆえに未熟である事や異邦人である事を理由に目立った場所(メディアなど)に出たがらないのは相変わらずである。
第4部では、かつて日本でお世話になった針生親方の危篤の報に呼ばれ一時帰国。店をマルコ・セルジュ・ラウラに任せ、代理の仕立て職人として親方の店である「テーラー針生」を店番として親方の孫娘と一緒に守る事になる。ちなみに親方は回復したものの現在は店を開けて各地を回っているため現在も代理として店を任せられている。
性格ねぇ。こっちが無下にできないものを次から次へと出してくるじゃあないか。
前述の通りチャキチャキの江戸っ子で、肝心なところで気質が顔を出しあとで後悔して泣いていることがよくある(さすがに人前では泣かないが、同居するようになったマルコには気を許しているのか彼の前では割と遠慮なく泣く)。基本的には穏やかだがお客の真意を見抜き歯に衣着せぬ物言いで突き詰めていく。が、これも「真意を知らないことには注文に充分応えることができない」という彼の職人魂からくるもの。
酒には強く無類の酒好きでもあり、酒がついてくる依頼はわりとホイホイ引き受けてしまう。
半面色仕掛けや金の誘いにはガンとして乗らない。
客の無法に怒るときはよくザリガニの姿で描かれる。