概要
日本が「後進世界であるアジアを脱し、欧米列強の一員となる」ことを目標とした思想である。井上馨・大久保利通らにより強力に推し進められた欧化政策のバックボーンとなった思想である。
日本の国際的地位向上に資するものであり、西洋式の法体系が導入され、東京などの都市部を中心にガス灯が設置され、鉄道網が整備されるなど、日本人の生活は瞬く間に豊かになっていった。
批判
「日本文化と対立的な欧州至上主義を内部に抱え込み、日本の自己植民地化を自ら招くという矛盾をはらんでいる。」という批判もあるが、あくまで中国由来のものを排除しようとしただけであり、日本固有の文化全てを捨て去ろうとしたわけではない。西洋由来のものから日本独自のものに発展したものもあり、この思想がなければ現代の日本は存在し得なかったことは明白である。
基本的にアジア諸国との連帯と欧米列強の排除を目指す「アジア主義」と対立するが、「脱亜入欧のもと強大化した近代日本は、本来相容れないはずのアジア主義と脱亜思想を融合させ、アジア諸国を日本が植民地化し、あるいは勢力圏に置く方向へと向かっていった。」という意見も存在する。
ただし、日本以外の欧米諸国もアジア圏に植民地を持っていたため、「アジアの植民地化=アジア主義」という訳ではない。
脱亜論との関係
1885年(明治18年)に福澤諭吉が書いたとされる論説「脱亜論」が、この思想の発端であると紹介されることがあるが、これは誤りである。そもそも鹿鳴館に代表される欧化政策はこの論説の発表前から推し進められている。福澤の「脱亜論」が世間の注目を集め「脱亜入欧」という語句と関連付けられるのは第二次世界大戦後のことであった。