概要
元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門は次々に入水、このとき、平家方の水軍を指揮していた平清盛の四男・知盛も平家一門の後を追い、鎧兜を身につけたまま碇を巻きつけたうえ源氏方の武者・二人を道連れに入水したとされる。
この壮絶な最期は、後に源義経が自刃するための時間稼ぎをした弁慶の壮絶な最期(”弁慶の立ち往生”)を思い起こさせ、このこともあわせて平知盛のことを”船弁慶”という。
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