概要
駆逐艦の一つ。秋月型駆逐艦の6番艦である。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」に由来する。1939年度計画において、1942年3月9日に三菱重工業長崎造船所で起工し、同年11月24日に進水。1943年5月31日に竣工した。当初は舞鶴海軍工廠で昭和17年6月に起工し、1944年5月に竣工というスケジュールが立てられていた。
トラック諸島に進出後、小沢治三郎中将率いる機動部隊と行動をともにする。機動部隊は9月と10月にマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった。トラックに帰投して間もなく「ろ号作戦」が発動され、ラバウルなどへの航空要員の緊急輸送を行うことに。10月30日、第十戦隊旗艦の軽巡洋艦阿賀野に率いられトラックを出撃し、11月1日朝にラバウルに到着したが、この11月1日未明にアメリカ軍がブーゲンビル島タロキナ岬に上陸し、ブーゲンビル島の戦いが始まる。これを受け、第五戦隊は第十戦隊および第三水雷戦隊を率いて11月1日14時30分にラバウルを出撃し、26ノットの速力でエンプレス・オーガスタ湾のアメリカ艦隊および輸送船団目指して進撃した。翌11月2日未明、エンプレス・オーガスタ湾手前にて第39任務部隊の軽巡洋艦と駆逐艦の部隊に遭遇し、ブーゲンビル島沖海戦が起こる。第39任務部隊は丁字戦法を以って第五戦隊以下の進撃を阻み、第五戦隊以下は突入を阻止されて11月2日朝に帰投した。11月5日のラバウル空襲、11月6日のブーゲンビル島への逆上陸を通じて空襲を受け、至近弾により中破する。11月11日の第二次ラバウル空襲ののち、トラックに引き上げる重巡洋艦「摩耶」と潜水母艦長鯨を護衛してラバウルを出港する。トラックを経て11月26日に横須賀に帰投した。修理と機銃増備工事が行われるも、12月21日に缶室で火災事故が発生して修理完了が昭和19年1月9日となった。修理後は瀬戸内海に回航された。
エンガノ岬沖海戦後の救助作業時のアメリカ艦隊との遭遇戦では、無事生還するも約半月後の1944年11月11日、オルモック輸送作戦における船団護衛中米軍機の攻撃を受け沈没した。1945年1月20日除籍。