長月(駆逐艦)
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ながつき
旧日本海軍の駆逐艦名。2代が存在した。
本艦は浦賀船渠で建造された旧神風型駆逐艦の28番艦。1907年7月31日に竣工した。
第一次世界大戦では同型の卯月とともにシンガポール方面で警備任務に従事している。
1924年12月1日に掃海艇に艦種変更されたが、後述の2代目長月が就役したため1928年8月1日に第11号掃海艇に改称。その6年後に除籍・売却された。
2代目長月は1923年度計画艦「第30号駆逐艦」として東京石川島造船所で建造され、1927年4月30日に竣工した、睦月型駆逐艦の8番艦。1928年8月1日に「長月」を2代目として襲名した。
同じころ石川島で竣工もしくは起工した駆逐艦には、同型の2代目卯月、次級である吹雪型駆逐艦の薄雲・天霧がある。
日中戦争に従軍したのち、アジア太平洋戦争では同型の皐月・水無月・文月とともに第22駆逐隊を編成し、名取を旗艦とする第5水雷戦隊に配属されている。なお第22駆逐隊は、1942年12月に解隊となった。
1942年末までに参加した主な作戦
ジャワ島攻略戦、クリスマス島(豪州)攻略作戦
1943年のガダルカナル島撤収作戦では、米軍機の攻撃により艦首が破損した舞風を艦尾より曳航し、ショートランド泊地に避退している。
最後の戦いになったのは、同1943年7月5日に生起したクラ湾夜戦である。
本艦は天霧や皐月、初雪とともにコロンバンガラ島への第二次輸送隊として参加するが、その日の夜間に米艦隊と交戦。砲雷撃戦のさなか、翌日0時6分に座礁した。
同行していた皐月が曳航しようとするも失敗し、その後昼間の空襲により損傷を受けたため、長月は放棄された。
同年11月1日除籍。
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