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海自の「専用練習艦」第1号編集

TV-3501「かとり」は、第2次防衛力整備計画に基づく昭和41年度計画練習艦3501号艦として、石川島播磨重工東京工場で建造され、1967年12月8日に起工、1968年11月19日に進水、1969年9月10日に竣工した、海上自衛隊初の練習艦(最初から練習艦として建造された「専用練習艦」)。艦名の由来は香取神宮で、旧海軍の戦艦「香取」、練習巡洋艦「香取」に続き3代目にあたる。

竣工とともに練習艦隊に直轄艦として編入、練習艦隊の旗艦となったが、このとき練習艦隊司令部はまだ横須賀に置かれていたため、定係港も横須賀である。

海自が専用練習艦を欲していた背景として、幹部候補生学校卒業後の初任幹部による実習訓練には、はじめ毎年4~5隻の護衛艦がその任に当てられていたが、第一線の護衛艦が数ヶ月間も遠洋航海に使用されることは練度保持上も問題であった上、護衛艦では教育用施設や居住施設が充分ではなかった、という点が挙げられる。それゆえに本艦は、長途に亘る訓練航海に対応出来うる様な配慮がなされており、実習員のための居住区や教育設備は艦の後部付近に集約、固有乗組員の区画と切り離され、また煙突後部の大型甲板室には、実習講堂や実習員の居住区画、および食堂が配置された。またヘリ甲板を兼ねている後部甲板は、実習員の体育訓練や様々なレセプションにも対応していた。その他、各戦闘区画や実習に用いる艦内区画は実習員の教育訓練が行える様に通常の護衛艦に比して広いスペースが確保されている。

機関は蒸気タービンながらも、缶室と機械室を同一の区画内に配置し、実習員が主機の運転状況を実習出来るように配慮された。


武装

68式50口径3インチ連装速射砲:2門

71式ボフォース・ロケット・ランチャー:1門

68式3連装短魚雷発射管:2門

その他、練習艦特有の装備として着脱式の礼砲2門を装備していた。


対空レーダーには、護衛艦「わかば」(戦後に浮揚した旧海軍の駆逐艦「梨」を改造)より撤去された、AN/SPS-12が使用されていた。


「かしま」就役を待たずに遠洋航海を退く編集

本艦は就役翌年の1970年から、1993年まで24回の遠洋練習航海に参加し、その記録は、延べ訪問国数:209ヵ国(307港)、航程:718,772浬、育て上げた実習幹部:3,537名となっている。

しかし老朽化に加え、主機関がガスタービンに移行していく中で「かとり」の装備が対応しきれなくなり、後継艦の建造が決定する。この後継艦・TV-3508は先代香取の同型艦でもあった「鹿島」の名を受け継ぎ「かしま」と命名され、当初計画では1994年に竣工、これに合わせて「かとり」は遠洋航海の任を退くことになっていた。その「かしま」の竣工は1年遅れたが、「かとり」は予定通り遠洋航海より退き、以後は日本近海での練習航海に専念する。

1995年1月26日、「かしま」が竣工・就役して練習艦隊旗艦になったため、本艦は練習艦隊第1練習隊に転属、定係港も呉に変わった。この直前の1994年には自衛隊観艦式に初めて参加したが、これが最初で最後の観艦式参加ともなる。

1998年3月20日限りで除籍となり、のちに江田島にて解体された。


蛇足だが、現在、練習艦隊の司令部は呉に所在する。


関連タグ編集

香取


かしま:後継艦であるこちらは日立造船舞鶴工場(現・ジャバンマリンユナイテッド舞鶴事業所)で建造された。本艦と同じく同型艦なし。

ちょうかい:本艦が除籍された1998年3月20日、同じ石播東京で竣工したこんごう型護衛艦(イージス艦)の最終4番艦。

むらくも:みねぐも型護衛艦の3番艦。本艦の退役にともない、代替で練習艦になったが(DD-118→TV-3511)、その直前までは護衛艦隊の旗艦を務めていた。

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