概要
2011年7月、イタリアの文学賞であるバンカレッラ賞料理部門賞を受賞。
2010年には映画化されている。主演は柴咲コウ
ストーリー
料理人として店を持つことを夢見ていたリンコは同居中のインド人の恋人に家財家具一式持ち逃げされそのショックで失語症となってしまう。一文無しとなったリンコは故郷である田舎に帰り10年ぶりに確執のある母のもとに戻る。
母親といざこざはあったものの店を持つ夢を捨てきれず、昔から親身に接してくれた熊さんの協力を得て一日一組予約制の食堂かたつむりを開店する。
リンコの作る独自の料理でやってきた客は皆願いが叶うという不思議なことが起きるが・・・
登場人物
- リンコ(倫子)
本作の主人公で25歳。
生まれ故郷のおっぱい村で母の不倫の子供として生まれたことから「不倫のリンコ」と揶揄されて育つ。母との生活に嫌気がさし、15歳の時に都会の祖母の元へ向かい料理を習うなど波瀾万丈な生活を送る。そんな生活を送っている中でいつか店を持つという夢を持つようになるがその矢先に祖母が他界してしまう。いろんな店で多種多様な料理の修行を積むうちにインド人の青年と出会い、恋に落ち二人の店を持つべく同居する。しかしその恋人に家財家具一式を持ち逃げされ、そのショックで声をなくしてしまう。
故郷に帰った際に自然豊かな自然に感化されこの村で食堂を開くことを決意する。
母の家の倉庫を使い熊さんの協力を得て食堂かたつむりを開店する。
そのうちに店にやってくるお客にあった料理を作りその客の願いが叶うという不思議な出来事が起きるようになる。
- ルリ子
倫子の母でスナックを営んでおり、村の顔なじみがよく来店している。
リンコに対し「倫子の倫は不倫の倫」と言っており、それ故倫子は不倫の倫子と呼ばれ育つ。倫子からは小さいころから敬遠されており、10年ぶりに帰ってきた際にも溝は埋まらないでいた。
飼い豚のエルメスを溺愛しており、七五三のような写真も撮っている。
- 熊さん
おっぱい村に暮らす大柄な男性。倫子の小学校時代の臨時職員で倫子とは昔から仲がいい。
妻子に逃げられ今は一人暮らしで倫子に妻との思い出のザクロカレーを提供される。
関連項目
※以下ネタバレ注意
ここまで聞くと自然に囲まれた穏やかな人情ドラマのようだがその内容はかなりご都合主義で矛盾点も多く、不可解な展開や理解不能な登場人物の言動も数多い。
例えば最初の方で倫子の祖母が他界するシーンでは倫子は警察や救急も呼ばず独断で死亡確認をして更には祖母の遺体の横で祖母との思い出のドーナツを食べるなど明らかに異様な行動を取っている。
・・・というかそもそも恋人に振られた程度で失語症になるものなんだろうか
それもそうだが倫子が言葉を話せず他人とのコミュニケーションに支障があるという描写がないのである。根本的なことを言えば喋れないという設定は必要ないんじゃ・・・
熊さんが食堂を開くにあたって一日中かけて多くの機材や材料を集めるのだが本業は何しているのか全く描かれず店を建てるに至っての金額などは問題とされず都合よく必要なものが揃う。
食堂かたつむりは一日一人予約制だが客からはいくら取っているか語られずそういった点でも不自然な設定が多い。
その他にも料理を食べただけで願いが叶うなど説明のつかないような現象が起きることを登場人物が違和感なく受け入れたりと展開や登場人物の思考回路も主人公の倫子を中心にしている面が多い。
特にジュテームスープという料理は見た目が明らかに下痢b(ryではなくて特に美味そうでもないのに関わらず食べたカップルは媚薬を盛られたかのように愛し合うなどあからさまにおかしな現象が起きる。
料理を食べて幸せな気分になると周りに食材のフレームが出てくるなど頭がお花畑ならぬ野菜畑な表現がされたりかなり痛々し(ry
他にも言葉の話せない豚のエルメスと謎の心の会話で意思疎通したりとヤクch...じゃなくて妄想癖が強すぎる表現もある。
倫子の誕生秘話においてルリ子から語られるシーンでは
ルリ子は学生時代の恋人と共に将来を誓い合ってバンジージャンプをする
↓
その際にバンジージャンプの紐が切れて川に落ち恋人が行方不明に
↓
ルリ子は別れた恋人を待ち続け、男たちの告白をすべて断り処女を貫く
↓
処女貫くべく水鉄砲に精子を詰め込み膣内で放ちリンコを授かる
というものである。倫子を処女懐妊というキリストの如くの神聖な扱いにすべくこのような異常な懐妊方法を誇らしげに語るなど倫理的に疑わしいような描写も多い。(極めつけは最後の方であるが)
川に落ちて行方不明なら捜索とかあるだろうに
というかそもそも生き別れていたのなら連絡ぐらいとれるだろうに
その後ルリ子は生き別れの恋人と自分の担当医という形で再会し恋人から末期がんを告げられる。
残り少ない命のため恋人と結婚式を開くとリンコに伝え、式の料理を頼む。
その際ペットのエルメスを料理として使うことを頼みリンコ自身も特に躊躇いもなくエルメスを屠殺し、世界中の豚料理として会食で振る舞う。
今まで家族同然に飼っていた豚を何故食してしまおうと思えるのか・・・エルメスを食べることがエルメスにとっても喜びであるという自分勝手な主観が何とも恐ろしい
エルメスを屠殺することになったときに何故かエルメスが喋らなくなる。おかしいなーさっきまで心の会話で話してたのに....
結婚式には今まで店に来た客やおっぱい村の村人だけが集い、身内的な人物しか集わない非常に視野の狭い結婚式が始まる
豚料理は花で彩られ倫子と新郎新婦、参加者たちは幸せな気分になる。
倫子は式中におっぱい村の空の上を母と共にエルメスにまたがり和解しあうという幻想を見る。
おそらく、エルメスを食したことで母と娘が繋がりあえたということだろうか・・・・
その後ルリ子はガンで他界、恋人はどこかへと旅立っていった。
ルリ子は母の死から立ち直れず食堂かたつむりをしばらく休業する。
そんなある日、店のドアにぶつかって死んだ鳩の死骸を見つけ倫子はこれも母のお告げであるという勝手な思い込みで鳩の死骸を調理し食す。
すると倫子は一言。「おいしい」
倫子は鳩の死骸を食べたことで声を吹き返したのであった・・・・
総評
上記の内容から各方面から突っ込みや酷評が多く
ライムスター宇多丸からは「気持ち悪い」、「自分中心の甘い世界」と言われ嫌いな思考回路であると評された。
型落中子からも「気持ち悪い」、「独りよがり」「薬物的」と評された。
映画の視聴者の多くの感想に共通しているのは「気持ち悪い」である。
・・・ただCGのイラストはそれなりに良かったりするが
2019年の映画ミッドサマーとの共通点を指摘する視聴者も多く、ファンタジーな自然豊かな田舎、花で彩られた食卓や祭殿、自然由来の幻覚、生贄的扱いや田舎独自の倫理観、明るい狂気などが本作と類似しているという。
両作に共通することは倫理観の破綻を美しく描き、良きこととするということ(引用:https://twitter.com/albatrus8/status/1242059951868014592)であろう。
一方で相違点は一歩引いた客観視点があるかないかである。
ミッドサマーはホルガ村の晴れ晴れとした明るさの中に視聴者側にとって狂気や悪意を感じられる演出がある一方で食堂かたつむりは客観的な視点がなく、純粋さゆえの狂気といえよう。
ちなみにミッドサマーの監督のアリ・アスターはこの映画は失恋映画であると語っている。
食堂かたつむりも失恋から始まる映画で物語の始まり方もある意味共通しており、その結末もある意味共通しているといえる。