概要
当選以前
徳島県三好郡三野町出身。徳島県立脇町高等学校、早稲田大学第一文学部英文科卒業。
大学卒業後、ダイエー(秘書課)に入社。
しかし、20代後半で自分の人生に疑問や悩みを感じ、休職して一年間アメリカへ留学する。
その後、地元徳島選出の仙谷議員やかつての知り合いである小宮山洋子議員の薦めを受けて民主党の公募に応募し合格。
2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で徳島県第2区(高井の出身地)から出馬するが、自由民主党の山口俊一に敗れ、落選。
衆議院議員として
2003年の第43回衆議院議員総選挙では再び山口に敗れるが、比例四国ブロックで復活し、初当選する。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では当初優勢とされならがも、比例復活もならず落選する(対立候補の無所属・山口は選挙区当選、自民刺客・七条は比例復活)が、同年10月、議員辞職者が出たため比例四国ブロック次点の高井が繰上当選した。
政権入り
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、山口俊一を徳島2区で破り、初めて小選挙区で当選(ただし山口は比例復活、七条は比例に回るも落選)。鳩山政権で文部科学大臣政務官に就任した。
2010年、菅改造内閣発足に伴い、文部科学大臣政務官を退任、文部科学委員会の筆頭理事、党副幹事長を歴任した。
2012年4月6日、増税法案の閣議決定に反発して退任した森ゆうこの後任として、野田第1次改造内閣で文部科学副大臣(教育・文化担当)に就任した。
人物像
現在二児の母であり、物腰の柔らかさ、優しそうな雰囲気には定評がある。一方で、目立たないとの指摘も存在する。
交友関係
選挙区が隣であること、前述の理由から仙谷と交友関係が深いものと考えられ、小宮山洋子とも交流があるものと考えられる。
またこの2名は前原グループ所属であり、高井自身も前原グループ所属である。
副大臣在任時の記者会見で厚生労働副大臣の西村智奈美と野党時代に一緒に政策立案に取り組んできたので意思疎通は取りやすいとも語っている。
誕生日
11月30日