岡山県総社市にあった古代城、およびその城郭跡地。
概説
白村江の戦いで敗北した大和政権は大陸の侵攻に備えて西日本に古代朝鮮式山城を多数建築した。
鬼ノ城もそのひとつとされるが、記録には残っておらず詳細は不明である。
調査によるとおおよそ7世紀後半に築かれたとされる。
この時代の山城は未完成のものが多い中ほぼ完成形として築かれた貴重な城跡である。
意外にも近年(といっても昭和中期)まで城跡は発見されておらず、山火事で偶然見つかった城跡。1971年より学術調査が開始され、それに伴い史跡として整備された。
2006年に日本100名城(96番)、2017年に続・百名城に認定されている。
構造
版築という土塁技術をもって築かれており水門等の排水機構や外部は大規模な石塁で覆われているのが特徴である。
さらに築城に使用された鉄器類を作った、もしくは整備した炉が残っている。
中央には高床式の倉庫跡も存在する。
尚、古代朝鮮式山城と分類されているが、神籠石式山城である可能性もあり議論が続いている。
伝承
岡山吉備地方には桃太郎伝説の元となったとされる温羅伝説(吉備津彦伝承)が存在し、この鬼ノ城も一部では温羅と結びつけられており、その事から「鬼ノ城」と呼ばれている。
ただし正確には「城の城(キのシロ)」であり、後世において最初の「キ」に「鬼」の文字が充てられたとされている。