概要
1990年4月4日生まれ。
横浜F・マリノスの育成組織から、2009年にトップチーム入りする。
しかしなかなかレギュラー定着できず、2011年の1シーズン愛媛FCに期限付き移籍、そこでシーズン14得点の活躍をする。
2012年にF・マリノスに復帰し、レギュラーの一角を占めるようになる。
2013年、ナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞。
2014年、FIFAワールドカップ日本代表に選出される。
2016年シーズン終了後は、海外移籍を目指し海外クラブと交渉するも合意には至らず、2017年2月に正式にクラブと契約更改し、同年にマリノスを退団したクラブのレジェンド、中村俊輔から背番号10番とキャプテンを継承し、チームを牽引するも、シーズン後半に右膝前十字靭帯損傷により全治8カ月の重傷を負った。
2018年1月、川崎フロンターレへの移籍が発表された。前年に10番をキャプテンとして背負いながらも、怪我で試合になかなか出られていなかった事や、契約期間が満了し移籍金がかからない事、移籍先がライバルチームであり前年優勝した川崎だった事などが理由で横浜FMのサポーターから批判された。
移籍理由について、「ポジション争いが一番厳しいかなと思った。自分が一番厳しい道を選ぼうと思った」と語った。川崎では選手層が厚く怪我がちで、レギュラーをつかむまでは至らなかった。一方で、生まれも育ちも川崎市であることもあり、Jリーグ屈指の地域密着クラブであるフロンターレの地域貢献活動においての出番は多かった。
その後、2021年に名古屋グランパスに移籍後、2022年夏には、かつて川崎でもプレーしていた鄭大世らもかつて所属していた水原三星ブルーウィングスに移籍。5年越しの海外移籍となった。
メッシ
彼は何かとメッシと呼ばれることが多い。2011年に愛媛でプレーしていた際、相手チームの監督に愛媛のメッシと呼ばれ、その後愛媛のメディアでも定着。
F・マリノス復帰後も、ハマのメッシだのカモメッシだの、横浜に関係するもの+メッシとして記事になることも多い。
しかし、彼はこの愛媛での1年間をとても大事にしており、どこに所属していようと日本代表であろうと、「エヒメッシ」なのである。