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概要編集

1970年10月10日生、愛知県出身。ファンからの愛称はakiちゃん、あきんなど。

同級生でコンサートスタッフのアルバイト仲間でもあったTomoiらとLaputaを結成、リーダーとなる。

1996年にメジャーデビュー。

その独特のハイトーンボイスと当時のヴィジュアル系スタイルの一つの完成形とも言える妖艶さと退廃感を備えた世界観の歌詞やステージングで多くの支持者を集め、後進のバンドマンにも大きな影響を与えた。


2004年にLaputa活動停止後はソロとして自主レーベル「khaosnumber」で活動。

長年コンスタントにライブ活動を行い、後輩の企画ライブなどにも参加した。


Laputaのプロデューサーを務めた大山正篤曰く「完璧主義でこだわりの強い美学を持つ」一方で、ステージを降りれば話し好きな面もあり、ラジコン雑誌に連載を持っていたこともある。

面倒見が良く気さくな人柄から多くの後輩に慕われていた。


アラフォーの頃はジャンル的にも少しずつ高齢化が進みつつあった矢先でもあり「オジアル系」を自称してネタにしていたりした。

酒飲みエピソードも多く同期のバンドマン仲間だった藤田幸也曰く「どんなに言っても煙草も酒もやめなかったのに最後まで綺麗な声だった」という。

ともあれ、アラフィフに差し掛かってもなおその健在な活動ぶりから多くのファンやバンド仲間も「おじいさんになっても元気に変わらず歌ってくれる」と信じて疑っていなかった。



2023年8月22日、サポートメンバーの人時公式アカウントで「akiが体調不良で18日に入院したため、同月26日に予定されていたライブは中止」の旨が告知された。

同年9月1日、「8月29日に逝去しており、遺族の意向で葬儀が終わるまで発表を控えた」旨がスタッフによりaki公式アカウントから発表された。

Laputaのメンバー及び、Laputa時代に所属していた事務所「シェイクハンズ」の元所属バンドマン達には内々で訃報が伝達されていたようで、彼らからSNSで後程葬儀に参列したとの報告があがっていた。

享年52歳。病名等は発表されていない。


倒れるまでは元気にライブをこなしており、年末までのライブ予定も発表されていたことから体調を崩したのも急なことだったと思われる。

入院からわずか10日のあまりにも早すぎる訃報にファンはもちろん音楽業界関係者も一様に驚きとショックを隠しきれず「信じられない」とコメントした後輩バンドマンも多数いた。


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