概要![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
神奈川県横浜市中区山下町の横浜中華街出身。愛称は「炎の料理人」。
両親は中国広東省出身。父親も横浜中華街で料理人を営んでいた。
18歳で料理の道に入る、その後、新宿の京王プラザホテルで総料理長を歴任。1993年に「広東名菜富徳」青山店のオーナーとして独立した。
テレビ番組には、NHK『きょうの料理』に出演していたが、1990年代に入ってからは、テレビ東京系『浅草橋ヤング洋品店』、TBS系『わいど!ウオッチャー』火曜日のコーナー「周富徳の中華指南」、フジテレビ系『たほいや』『料理の鉄人』などの番組への出演でブレイクし、全国区の人気となった。
また、新宿の京王プラザホテル内の中華料理店「南園」で副料理長だった頃の上司(料理長)が新派粵菜(現代アレンジされた中国南部沿岸地域の料理。いわゆるヌーベル・シノワ)の旗手の1人と言われた人物だった事も有り、TV出演するようになってからは香港や中国本土の最新の流行を日本に紹介する事も多かった。
周富徳によって、日本に紹介された料理・素材としては、XO醤やマンゴープリンなどが有る。
2014年4月8日午後11時37分、誤嚥性肺炎のため、横浜市中区の病院で死去した。享年71。